牧師のメンタルヘルス 牧師が”壊れる前”に信徒ができること
信徒がかかわる「牧師のメンタルヘルス」

藤掛 明
聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター准教授

信徒がかかわる「牧師のメンタルヘルス」

牧師のメンタルヘルスというテーマは、きわめて大きい。ここでは、臨床心理士としての視点で、信徒の立場から扱うこととしたい。それも牧師にリクエストする部分でなく、自らが牧師を支えていく部分に焦点をあてながら、なるべく臨床実務にそって述べてみたいと思う。

1 信徒の自由と責任が増す時代

 現代では、牧師は、ある意味分断され、孤立させられている。老練牧師から若手牧師への世代的な知恵の継承もままならないし、また、個々の牧師の横のネットワークや友情関係もままならない場合が多くあるように思える。
 一方で、信徒は飛躍的に自由と責任を得るようになっている。ネットを通して、瞬時、自在に、出席教会以外の超教派プログラム、多様な宗教書、ブログの意見など広範な情報に接することができ、信徒の持つ情報量が、牧師のそれと差がなくなりつつある。横のネットワークを得たいと願えば、いくらでも教会の外での交わりが保障され、すこし誇張すれば教会や牧師を選ぶことさえできるようになったと言えなくもない。このような変化のなか、個々の所属教会の意味が薄らぎかねない。しかし、忘れてはならないのは、信徒は交わりを広げていくことや、意見を広く主張することの特権を得たと同時に、だからこそ個々の教会を形作り、牧師を支えていくという点で大きな責任も担うようになっているということだ。今ほど信徒の責任が増している時代はないと感じさせられている。

2 今、起こっている牧師の燃え尽きの実際

今、牧師のメンタルヘルスをめぐって、どのようなことが起きているのか。牧師の燃え尽きにつながるストレス要因をリサーチし、統計的な手法で疲弊類型を抽出した研究(注)があるので、それを紹介しながら、信徒としての課題を考えてみたい。

(1)第一類型「教会の覇権争い」による疲弊。これは、教会のリーダーシップをめぐって、役員や信徒と対立してしまい、牧師が疲弊することをさす。信徒としては、聖書的価値観に沿い、牧師のリーダーシップ(伸びしろも含め)をいかに尊重し、従い、また援助していけるのかが問われているのだと思う。

(2)第二類型「信徒のお世話役」による疲弊。これは、信徒のリクエストにこたえるためにあくせくしてしまい、牧師が疲弊することをさす。信徒が牧師の下、いかに奉仕を担うのか、その奉仕観が問われているのだと思う。

(3)第三類型「牧師自身の資質の問題」による疲弊。これは、牧師個人の性格や心の傷、家族関係などが今の牧会に影を落とし、牧師が疲弊していることをさす。信徒としては、積極的な意味で、牧師の自己研鑽を推奨し、また牧師が他の専門家の援助が必要になったときにはそれを支援する心構えが問われているのだと思う。

3 信徒として教会としてできる第一歩

 指導者は、私的な友情や絆をもたなければ、孤独な状況のなかで、いずれ支配的(覇権争い)になるか、従属的(お世話役)になる。だから、私たちは、牧師のために祈るにしろ、言葉をかけるにしろ、また様々な提言をするにしろ、その牧師が孤独な状況に追い込まれる(追い込まれている)かもしれないと絶えず意識しておくことがまず肝心だと思う。

 また、教会として、牧師の研修参加を積極的に支援することは大切なポイントだと思っている。牧師が私的な友情を得るためのプログラムがあるわけではない。ただ教会の外の牧師向けプログラムに参加してもらうことで、結果的に息抜きの機会となるだけでなく、視野を広げたり、同業者との横の情報や連帯を味わう機会になるからである。

(注)「日本のプロテスタント牧師の疲弊研究」(藤掛明・衣笠詩子、聖学院大学総合研究所紀要四十七号)
藤掛 明
長年、法務省の矯正施設(少年鑑別所など)で、心理技官として勤務。2003年4月から、聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センターに所属し、現在准教授。著書に『雨降りの心理学』(燃焼社)、講演DVD『宣教における女性の役割』(PBA)など。