「がんばる人生」から「ありのままの人生」へ 『ありのままを生きる』さわり読み

『ありのままを生きる』人と自分を愛するための聖書養生訓

 私はこの本をこんな人のために書いた。

 とにかく、聖書のことを少しでも知りたいと思っている人。クリスチャンについて、もう少し知りたいと思っている人。クリスチャンだけれど、なんとなく信仰の実感が乏しいと感じている人。生活の中に自分の信仰をもっと生かしたいと思っている人。さらに、キリスト教や信仰にあまり関心のない人。そして、神様ということばを聞くだけで、なんとなく嫌だと思っている人にも、だからこそぜひ読んでもらいたい。

 今の世の中、みんな何か問題を抱えている。(中略)

 私もかつては、家庭も顧みる余裕のないほど連日仕事に追われ、いつもくたくたになりながら、どこかむなしい日々を送っていた。そんな時、我が家にいくつかの出来事が起きた。

 娘の不登校はロンドン在住中、インターナショナルスクール(中学校)におけることば(英語)の障害と異文化への不適応から始まった。しかし、帰国後も、不登校は断続的に続いた。そのうち、すべて問題は学校や本人にあるのではなく、家庭にもあることが分かってきた。本人は教会の牧師とカウンセラーに助けを求めた。私たち家族も、家族カウンセリングを受けながら、一方、教会では礼拝に集い、祈りをささげ、神様にすがりつくような日々であったことを思い出す。その間、心労とストレスから家内がくも膜下出血で倒れ、その数ヵ月後には私も同様の心労とストレスから倒れた。しかしその入院騒ぎのただ中で、不思議な体験を通し、私は神に出会うことになる。そして、はからずも私はキリスト教の洗礼を受け、人間として、内面から大きく変えられていったのである。

 それまでは「生きている」と思っていたのが、実は「生かされている」のであったり、すべては、「勝ち取らなければ」から、実はすべてはすでに「与えられている」のであることが分かってきた。そして今は、もしそれが本当に必要なものであれば、十分でないとしても必ず与えられると思えるようになってきた。そうなると、これまでのようにあくせくしなくなった。家族を見つめる目も変わってきた。「あああって欲しい」「こうあって欲しい」から、「ありのままでいい」、さらには「ありのままがいい」へと。そうした私の内面の変化とともに、家族との関わり方も自ずと少しずつ変わり、その結果、娘の不登校も徐々に収まり、家族の人間関係もこれまでよりも穏やかなものへと変えられていったのである。

 あの頃からすでに十数年の歳月が経ち、娘は結婚をし、幼い命にも恵まれ、妻として、母として、日々明るく暮らしている。いつか娘は、「私がこの家の人を変えたエンジェルよ」と言ったことがある。私も本当にそうだと思う。どのような時にも、神は「最善を、最善の方法で、最善の時」になしてくださる。その信仰に立ってこそ、初めて希望と喜びに生きることができるのではないだろうか。本書が少しでもそのような生き方のお手伝いができれば望外の喜びである。

(本書「まえがき」より)