『巨匠が描いた聖書』 著者に聞く『巨匠が描いた聖書』ここが魅力 [1]

『巨匠が描いた聖書』

「聖書のことば」と「作品」と「画家」の三者が一体に

◆この本の、最大の特徴は何でしょうか。

 絵のテーマである「聖書のことば」を土台にして、時代背景における画家の制作の意図を探り、また画家の個人的な信仰にまで踏み込みながら作品を鑑賞できることです。

 また、最終的にはテーマの中心である「聖書のことば」に戻って、神からのメッセージを聞くことができるように工夫しているところです。つまり、「聖書のことば」と「作品」と「画家」の三者が一体となって一冊の本として構成されているところが大きな特徴であると言えます。

 また、旧約聖書の「天地創造」から新約聖書の「新天新地」までの、聖書の基本的な流れを追いながら、その箇所にふさわしい名画を見ることができるので、聖書を読んだことのない方々もスムーズに聖書の世界に入っていけるのではないかと思います。

 また、美術画集としても他の本にひけをとらないように、大きな画面や拡大画面を掲載しています。この本で「聖書のことば」と「画家の息吹」を堪能していただければ幸いです。

◆「アダムの創造」から「新天新地」までの四十五枚の絵のセレクトは難しかったですか。

 とても難しいことでしたね。歴史上これまでに「聖書」をテーマにして描かれたものはたくさんありますし、同じテーマでも多くの画家が描いています。また、一人の画家で同じテーマで何枚も描いているものもあります。今回はその中から、最もふさわしいものをと願って選択しました。

◆『巨匠が描いた聖書』という書名にはどんな思いが込められているのですか。

 第一に、多くの古の巨匠たちが「聖書」をテーマにしたすばらしい名画をたくさん残しているという事実を知っていただきたいという思いがあります。

 第二には、私自身キリスト教美術史を学びながら、多くの巨匠たちが時代の要請の中でそのような絵画を描きながらも、画家の持っている信仰に触れることができたり、個人的な信仰のゆえに描かれてきた作品にも出会ったりして、私自身の信仰も励まされたりしてきました。そんな思いもお伝えしようとしました。

 また、第三には、本来の聖書絵画の鑑賞とは、一般社会で求められている美術史的、技法的な知識だけではなく、画家の生きた時代の現実とともに画家個人の信仰をも視野に入れたものこそ大切ではないかと思っているからです。

◆一流の画家たちが聖書を題材とした作品を多く残しているのはなぜでしょう。

 キリスト教の影響力の強かった中世、ルネサンス、バロック時代には多くの作品が描かれています。それはある意味では時代の要請があったからです。でも、どのような動機でもひとたび「聖書」をテーマにして描こうと思えば、どうしても「聖書」と対峙しなければならず、そこには「聖書」と画家との対話や葛藤が絵の中に表れてくると思います。

 また、時代の要請ではなく、個人の信仰から「聖書」をテーマにした作品も多く存在します。画家の信仰は手記や当時の資料によって、知ることができます。それほど、画家にとっても「聖書」は魅力あるテーマだったと言えるのではないでしょうか。

◆絵の一部をかなり拡大していますが、こうすることで何が見えるのでしょう。

 「目は口ほどにものを言い」ということばがありますが、例えば『アダムの創造』では「慕い求めているアダムの目」が、『受胎告知』では「信頼するマリヤの目」が描かれています。その他の作品には「対立する目」「悲しんでいる目」「涙を流している目」などもあります。目の表情は、作品のテーマの中心になっていることが多く、クローズアップして見ることによって、鑑賞者がテーマにより迫ることができます。

◆芸術作品の中には、絵の情景や人物が動きだしそうに思えるものがありますが、良い絵画、特に聖書を題材にした絵画にはそういう力があるのでしょうか。

 単なる状況の説明や解説ではなく、作者の技術的な力とともに、強い思いが加わると、一枚の絵が一つの物語として語り出してくるのではないでしょうか。そのために画家たちは、構図、遠近法、明暗法、ムーブメント(動き)、テクスチャー(地肌)などを研究し、自分の思いをいかに表現するかに苦労して来たのだと思います。

 聖書の人物像も、画家たちにとってとても魅力的なテーマだったに違いありません。聖書には、この世界でいかに生きるか、名誉に輝いたかと思うと地に落ちてしまう人間模様、そして神と人との葛藤の数々がリアルに描かれているのですから。

◆時を越えて人を魅了してきた聖画は、聖書の中に流れている「いのち」を具現化しているのでしょうか。

 「風」は目に見えませんが、「風」が動かしたもの(目に見えるもの)によって「風」の動きを知るのと同じように、「いのち」も目に見えませんが、「いのち」によって動かされた人間の「かたち」によって「いのち」に触れることができるのだと思います。聖書はまさに「いのちの書」ですから、そのいのちを見える世界として表したのが絵画作品ではないかと思います。