しあわせな看取り
―果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第5回 吾輩は猫ではありません!

岸本みくに
惠泉マリア訪問看護ステーション所長
札幌キリスト召団 余市教会員

大阪、堺市生まれ。
幼い時に父を交通事故で亡くし、母の、「手に職をつけ早く自立するように」との教育方針で、子どもは3人とも医療系に進んだ。卒後15年間大阪の淀川キリスト教病院に勤め、その後、地域医療や福祉、キリスト教の共同体などに関心を持ち、各地をうろうろ。2008年より現在の惠泉マリア訪問看護ステーションに勤務。現在同ステーション所長。北海道に住んで20年、大阪弁と北海道弁のバイリンガル。

丸谷さん(仮名)は九十歳のおじいさん。若いころからヘビースモーカーで肺気腫になり、風邪をこじらせては肺炎になるため、体調管理のためにケアマネージャーから訪問看護に依頼が来ました。二時間かけて週に何度か通ってくる娘さんだけが頼りで、猫とひっそり暮らしておられます。
訪問を始めたころは、リビングに敷いた布団の上に倒れるように寝ており、口をあんぐり開けて、呼びかけても返事のない丸谷さん(強度の難聴)の姿に、何度救急車を呼ぼうかと思ったか分かりません。けれども、それがいつもの姿だと次第に分かってきました。難聴に加えて、ひどく寡黙な人で、体調が良いのか悪いのか、本人からの訴えはほとんどないので、こちらの観察による判断が大切です。

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春先は喘息が出て呼吸困難となり、夏場は脱水で血圧が下がり、そのようなときは点滴を持って走ります。余市は夏でも朝晩は冷え込むことが多いので、お年寄りの家ではストーブを焚くことがあります。丸谷さんは、そのまま日中もストーブを消さないので、訪問するとサウナ風呂状態です。ストーブを消し、窓を開けて空気を入れ替え、冷蔵庫を物色してヨーグルトやジュースを勧めて水分補給をします。
一日中パジャマのままで、トイレと食事以外は、布団に倒れるように寝ており、テレビだけが一日中鳴りっぱなし。「こんにちは!」と声をかけても、顔を見てうなずいてくださるのは三回に一回程度。目を開けても、すぐにまた閉じてしまいます。でも眠っているわけではなさそうです。起こして座っていただき、飲み物を勧めると飲んでくださるからです。丸谷さんが反応されない分、猫が私に擦り寄って歓迎の意を表してくれます。
あるとき、思いました。「この人は何のために生きておられるのだろう?」「食べて寝るだけでは猫と変わらないのでは?」ある日の訪問で、リビングに丸谷さんの姿が見当たりません。トイレにも台所にもおられません。捜していると突然、応接間のドアが開き、すくっと立った丸谷さんが現れました。しかもズボンを履いてブレザーを着ておられるのです。別人のようでした。応接間ではお仏壇に灯りが燈っており、どうやら丸谷さんはお仏壇の前でお参りしておられたようです。
私はこの日の丸谷さんの姿に「人の尊厳」を見ました。「この方は猫ではない! 人間を超えた崇高な存在に信仰を持ち、礼拝をする尊い人間なのだ。神のかたちに造られた人なのだ」と感じ、「猫みたい」と思っていた自分の考えを恥じました。(丸谷さん本当にごめんなさい!)

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惠泉マリア訪問看護ステーションでは、毎年、看護・介護関係の仲間を集めてセミナーを開きます。昨年のテーマは、「輝け命!人生を支えるケア」と題してQOL(命・生活の質)を取り上げました。私たちのステーションは千葉県の都賀、福島県のいわきにも増え、それぞれのステーションが事例を発表しました。特にいわきの発表は、生きる意欲をなくし不潔で劣悪な生活環境でお酒におぼれ、投げやりな気持ちで暮らしておられるひとり暮らしのご老人を支え、その方の親友とともに家をきれいにし、生きることに前向きな気持ちを引き出していき、その結果、何年も治らなかった傷が治ったという感動的なものでした。彼らの結論は「神様を持ち運ぶマリアの熱心さ、健康的で元気な空気がこの方を回復させた」というものでした。いわきの仲間たちの諦めない姿勢と忍耐に脱帽です。私はそのセミナーで、人の尊厳を大切にするケアとして三つの方法を文献から紹介しました。そのうちの一つはフランスで生まれた「ユマニチュード」です。

これは、人がどのような状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい”存在であり続けることを支えるためにどうすればよいかを教えているものです。中心にあるものは絆です。ケアを行う人が相手に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信することです。その中心にあるのは「その人」ではなく、その人の「病気」でもなく、わたしとその人との「絆」です。その絆をどう生み出すか、具体的な方法を「ユマニチュード」は教えてくれます。いわきの仲間たちは、利用者さんとの間にこの「絆」を生み出したのだと思います。