しあわせな看取り
―果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第9回 私の出エジプト

岸本みくに
惠泉マリア訪問看護ステーション所長
札幌キリスト召団 余市教会員

大阪、堺市生まれ。
幼い時に父を交通事故で亡くし、母の、「手に職をつけ早く自立するように」との教育方針で、子どもは3人とも医療系に進んだ。卒後15年間大阪の淀川キリスト教病院に勤め、その後、地域医療や福祉、キリスト教の共同体などに関心を持ち、各地をうろうろ。2008年より現在の惠泉マリア訪問看護ステーションに勤務。現在同ステーション所長。北海道に住んで20年、大阪弁と北海道弁のバイリンガル。

「彼らは、その兄弟たちの部族の中で相続地を持ってはならない。主が約束されたとおり、主ご自身が、彼らの相続地である」(申命記18・2)
このみことばは、私が自分のライフワークと思い、取り組んできたホスピスの働きを諦めなければならない事態に直面したときに、この事態は不当であると神様に訴え、祈りによる格闘の末に与えられたものです。出エジプトで荒野を旅したイスラエルの民がカナンに入り、相続地の分配を受けるときに、レビ族に対して語られたものです。このとき、相続地をもらえない部族があることを初めて知りました。私はホスピスという相続地が欲しかったのです。私は、これこそ自分の生涯で譲れないものであると主なる神様を説得する方法を考えました。同時に、自分の魂の最も深いところにある願いは何であるのかを掘り下げていきました。その結果、気づいたことは、私が欲しいのは主ご自身であるということでした。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6・5)
私の相続地であると主張していた仕事は自己実現のためのものだったのかもしれません。主ご自身が私の相続地であると約束してくださる神様の前に「もったいないことです」「もう何でもやります」とひれ伏しました。

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ホスピスの働きに興味を持ったのは、卒後すぐに勤めた病院で末期患者の個々のケアについて多職種で話し合うミーティングが毎週開かれていたことがきっかけです。まだ二十代の人生経験の乏しい、しかも自分自身の死についても恐れや不安におののいている当時の自分にとっては、この話し合いの場は非常に重たいものでした。それは他の看護師たちにとっても同様でした。
ある日、聖書日課のレビ記を読んでいましたらこのようなところに目が留まりました。
「六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる」(レビ記25・3、4)。さらにみことばは続きます。
「わたしは、六年目に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。」(レビ記25・21)
ちょうど看護師として働き始めて六年目のことでした。六年間、耕してきた自分の看護という畑を振り返ってみました。一体何が収穫できるというのでしょう。私はがんの患者さんと向き合うことができず逃げてばかりでした。逃げてばかりでは、この先、看護師としてやっていくのは難しいと感じました。それで「死と向き合う」ことを始めました。そしてホスピスをやろうと思うようになったのです。当時、看取りは看護師たちの好まない仕事でした。「わたしのときばっかり当たるのよ!」とささやく同僚もいました。私はあえてそのような世界に踏み入ろうと思いました。
私は、主が約束した「三年分の収穫」を期待して安息年をとることにしました。一年の休職を願い出て、英国のホスピスで研修をさせていただくことになりました。それは看護師としてだけでなく、信仰者としても、信仰書の中で知ったヨーロッパの偉大な先人たちの足跡をたどる旅ともなり、有り余る収穫をいただきました。帰国途上ではインドのデリーで開かれたNurse’s Christian Fellowshipの国際大会に参加し、ヒマラヤの麓の小さなキリスト教病院で一か月の看護体験をする機会も与えられました。
そして、ホスピスに対するたくさんの夢を描いて意気揚々と帰国の途に着いたのです。けれどもそれから何年か後、主なる神様は、そのような私の夢に「待った!」をかけられたのです。自己実現ではなく、神様のために生きる者に、自分の描いた人生ではなく、創造主の創造目的に適う人生を歩める者になるようにとの神様の思いでした。私はその後、看護師であるという自分のアイデンティティーも一度手放しました。そしてカルデヤのウルを旅立ったアブラハムのように導きのままに旅をしてきました。そしてさまざまな地域の働きを見せてもらいました。
あれから二十数年の歳月が経ちました。不思議なことに私は今、余市で訪問看護を通して在宅ホスピスの働きをしています。求めたわけではありません。ただ、ささげたイサクが戻されただけです。イサクはもはや私のアイドルではありません。
「もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」(Ⅱコリント5・15)