ずっこけ宣教道 第3回 台湾篇

松本望美
北朝鮮宣教会所属

 昨年、八月末から一週間ほどのスケジュールで、チームで台湾宣教に行った。

 伝道対象者は、日本統治時代に「日本人として」教育を受けた老人たちである。だから、日本語で伝道できるし、なんと「日本人である」ことだけで喜ばれたりする。

 宣教内容は、老人ホームや病院、ホスピスを巡回したり、個人宅を訪問している。訪問先では、特に童謡を歌うと喜ばれる。子ども時代に覚えた歌は忘れないものだ。

 いつもお世話になっている教会では、彼らのために「日本語カラオケ教室」を開講し、主に演歌を教えている。「大阪しぐれ」や「長崎は今日も雨だった」あたりは私も歌えるが、それ以前の演歌だとわからない。さらに個人宅訪問の時に「軍歌でも歌いましょうか?」と言われると、「軍歌ですか……え~と……」と目が宙に浮いてしまう。

 あるお宅では、いきなり軍歌のCDがかけられて、「さあ、一緒に!」とご主人に歌詞カードを渡された。「ここは、お国の何百里~! はいっ! 望美さんも大きな声で!」と言われても、全然わからず口パクだった。

 宣教チームが何年も続けて訪問していた陳さん(八十代)のお宅に行ったときのこと。陳さんのお宅には、赤々と輝く仏教の仏壇があり、その横には日本の新興宗教のはっぴが飾られていた。「どうして、日本の宗教まで信じようと思ったんですか?」と聞くと、「この人たちは、熱心に訪ねてきてくれてね。日本人が好きだし、日本語を話せるから信じることにした」と言われた。それから話を伝道にもっていったのだが、のれんに腕押しのような感覚だった。「もう夜も遅くなったので帰りますね。でも、その前にお祈りしますね」と言うと、陳さんも下を向いて目を閉じた。ああ、この陳さんが真理の神様に出会えますように……と私たちは心から神様にお祈りし、みんな顔をあげた。すると、さっきまで淡々としていた陳さんの目にうっすらと涙が浮かんでいた。「どうもありがとう……」と陳さんは私たちにお礼を言った。「また、来年も来てください。鶴首で待っています」と私たちを見送ってくれた。

 それから次の年、陳さんはイエス様を受け入れた。そして、天国へ帰って行かれた。その陳さんの影響で親戚たちがイエス様を信じたのだ。

 台湾には、「日本人は、〈日本精神〉を忘れてしまったよ」と日本を嘆いておられる方や「終戦で日本人が帰ってしまった時、本当に寂しかった」と言われる方が多くおられる。

 そんな老人たちも、高齢のため、年々少なくなってきている。

 台湾は、日本人クリスチャンが母国語で伝道できるフィールドでもある。

 何年か前から関わっていたおじいさんが洗礼を受けた。洗礼式の時、その方は受洗の喜びをマイクを握って歌った。

 「骨まで~、骨まで~、骨まで愛してほしいのよお~。」