わが父の家には住処(すみか)おほし
北九州・絆の創造の現場から 第11回 幸福(さいわい)なるかな、貧しき者よ

奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表

 T君と出会ったのは寒さが残る三月の小倉駅だった。おしゃれな姿で、一見野宿者には見えない。「もし失礼だったらごめんね。君今晩行くところあるの」と語りかける。うつむいたまま首を横に振る。「どこかに泊まって、ともかくご飯を食べなさい」と持ち合わせを幾らか渡す。郷里には両親がいると言う。だが「帰れない。これ以上親に迷惑をかけたくない」と彼は言うのだ。二十九歳だった。

二〇〇八年リーマンショック以降、若年野宿者としばしば出会うようになった。それまでは五十~六十代の方々が主だった。どの年代であっても野宿状態は楽なものではない。ただ人間六十年も生きていればそれなりの経験を積まれているようで、最悪の状況に置かれながらも比較的「落ち着いておられる」方が多かった。語弊のある表現かも知れないが「これまで生きてきた」という自負のようなものを持っておられるように感じた。

しかし、今路上で出会う若者たちは、まさに「これからの人」であって先が長い。その分喪失感も大きく絶望が深い。あまり聞かなかった一言をしばしば耳にするようになった。「もう死にたい」。私たちが運営する支援施設は、入所二か月待ちの状態が続いている。早急に次の施設を準備する必要がある(現在募金中)。ここ数年、緊急避難として途切れることなく若者たちが教会で暮らしている。そこから巣立った人も少なくない。

現在の経済状況では、彼らがもう一度立ち上がろうと努力しても「かつてのよう」にはならないだろう。高度経済成長期、努力すればなんとかなった。だが有効求人倍率が〇・五を割っている現状は、いわばイス取りゲームのイスが足りない状態である。そうであるにも関わらずイスに座れない人をつかまえて自己責任だと言う。今後景気がある程度回復しイスが再び出てくる時は来るだろう。しかし、以前のような「固定椅子(終身雇用制)」はもう出てこない。いわば「折りたたみイス(非正規雇用)」であって、再び景気が悪くなるとすぐに片づけられてしまう。若者たちの未来は厳しい。今、私たちは方向転換(悔い改め)を求められている。戦後私たちは、「満足」を求めて努力を重ねてきた。結果、八〇年代には「総中流意識」にまで至った。しかし、今や終身雇用制は崩壊し、今後低成長時代が続くことは確実である。だからこそ私たちは、ここで「満足と幸福」に対して懐疑を持たざるを得ない。「果たして満足と幸福は同じなのか」。「満足できないと幸福になれないのか」。「そもそも戦後社会が追い求めた満足は幸福だったのか」。私たちは根本的に問わねばならない。「満足できなくても、人は幸福に生きることができる」。決して宗教的ごまかし(アヘン性)ではない。確かにキリスト教に限らず多く宗教は、天国を約束することで現実の矛盾を曖昧にする危険を常に持っている。そんな危険を冒しつつあえて言う。満足と幸福は違うのではないか。これは、今日の状況において教会が真剣に取り組むべき宣教課題だ。主イエスはルカ福音書六章においてこう述べられた。「なるかな、貧しき者よ」(文語訳)。にわかには信じ難い。しかし、このことばの意味を、今若者たちと噛みしめている。これまで私たちは「貧しいことは不幸だ」と思い、必死に努力し「満足」を求めた。確かに貧困は問題。その惨状を二十年間路上で見てきた。だが今このみことばが深いところで響いている。「なるかな、貧しき者よ」。幸福と満足は違うのではないか。たとえ満足できなくとも人は幸福に生きるのだ。イエスは、どんな思いでこのことを語られたのか。どんな人々がそのことばを聴いたのか。そんなことを考えながら路上の若者を訪ねる夜が続いている。

あの日以来T君から毎日連絡が入るようになった。わずかにがった細い絆を少しずつ紡いでいった。「今日親に連絡してみました。帰ってこいと言ってくれました」と泣きながら電話があったのは、二週間後のことだった。翌日小倉駅で彼を見送った。別れ際「最初に会った夜、君に尋ねたことを覚えているか」と聞いてみた。「覚えています。『君、死にたいのか』って奥田さんは言われましたよね」。「本当のところどうだったの」とさらに聞く。「実は、あの夜、死のうと思っていました。あの日会ってなければ僕は今ここにいません」。それが小倉での最後の一言だった。

今も時々電話がある。明るい声に励まされている。再就職も決まり頑張っている様子。一度彼を訪ねようと思う。あのイエス・キリストことばの意味を確かめるために。

※このコーナーの聖書箇所は、文語訳を使っています。