イエスさまに出会った少年の物語 第一話 母から預かった弁当

橘由喜

 みなさん、よう集まってくださった。

 久しぶりにわたしが少年の頃出会った、イエス様の思い出を話そうかの。もう六十年も前のことじゃ。


 この石垣はエルサレム陥落の名残りじゃ。あれから二十年も経っているが、まるで昨日のことのように思い出される。当時、ユダヤの総督だったアグリッパが自分の領土から反ローマ分子を追い出そうとして軍隊をエルサレムに引き入れたことから、あの悪夢は始まった。

 神殿は、ソロモン王の時代から数えるなら千年以上もわたしたちユダヤ人の信仰の拠り所だった。その神殿が執拗なローマ軍の攻撃を受けて崩壊炎上してしまった。誰もが想像もできなかった。同胞は何十万人も殺された。

 神殿を失ったユダヤ人は、まるで神まで失ってしまったようだった。そしてその喪失感と絶望感からいまだ立ち直ってはいない。ただこの石垣があるだけじゃ……。

 当時はローマの兵士と互角に闘う元気のあったわたしも七十を越えた。

 ここに腰を下ろしていると、わたしは少年時代に出会ったイエス様の面影でいっぱいになってくるのじゃ。神殿は崩れてしまったが、わたしの心には本物の神殿がある。わたしの心の神殿には、今もイエス様が宿っていてくださるのじゃ。

 さて何から話そうか。まず思い出すのは、あのパンの奇蹟じゃ。思うだけでわたしの胸はなつかしさと感動で痛くなる。


 当時わたしは九才だった。ガリラヤの片田舎で暮らし、近所の人々からは働き者だと言われていた。父はその二年前に、作業場で死んだ。だから家は貧しかった。母が働いてわたしは家のことを手伝ってきた。母はときどき、その褒美にわたしに遊んでおいで、と言って時間をくれたもんじゃ。

 その日もわたしは、たっぷり半日の時間をもらって久しぶりに遠出をした。それは、イエス様がガリラヤに来られるといううわさを耳にし、どうしても会いたいと思ったからじゃ。

 母は仕事に追われて行けないと言う。だが、せめてイエス様にお食事をお届けしたいと言って、大麦で焼いた五つのパンと薫製にした二匹の小さな魚を入れた弁当をわたしに持たせてくれた。イエス様に差し上げるには貧しい内容だったかもしれん。だが、母にとっては、精一杯の弁当だった。わたしはそれを受け取って家を出た。

 途中、ずいぶんたくさんの人に出会った。わたしと同様、イエス様を追いかけていた。わたしは母が大切に布でくるんでくれたその弁当を脇に抱えて群集の後から息を切らしてついて行ったんじゃ。

 いつイエス様に弁当を渡そうかと気にしているうちに、だんだん大人も子どもも増えてきて、ますます渡すことのできる気配ではなくなってしまった。しかし、そのおかげでわたしはあのすごいパンの奇蹟を目撃することになったんじゃよ。


 それにしてもすごい人だった。イエス様を追いかける群集はどんどん増えていくばかり。

 実はその日、イエス様はすごく疲れを覚えていた。深い悲しみの中にいたのだ。いとこのヨハネが、ヘロデ王に殺されたという知らせを受けたばかりだったからだ。ヨハネのお弟子さんたちが、その遺体を引き取り、墓に納めたそうじゃ。

 そのヨハネは、バプテスマのヨハネと呼ばれ、多くの人に尊敬されていた人物だった。神様のこと、罪のこと、預言されていた救い主のことなど、いつも大きな声で話していた。わたしも聞いたことがあった。そして罪を悔い改めた人には、ヨルダン川でバプテスマを授けていた。わたしもいつかバプテスマを受けたかった。そのヨハネが、ヘロデ王に捕まって牢屋に入れられてしまったんじゃ。

 あげくのはてに、ヨハネに罪を指摘されたのを逆恨みした奥方にそそのかされて、ヘロデはヨハネを殺してしまったという。その話を聞いたとき、わたしは涙が出たよ。いや、もちろん悲しい気持ちもあった。だがな、子どもながらに憤りが隠せなかったのじゃよ。イエス様は親しいヨハネを殺されてどんなお気持ちだったのじゃろうか。本当はそんなときは、ひとりになって静かに祈りたかったのではないかのう。


 ところが一人で静まるどころか、食事をする暇もないほど人々はひっきりなしに追いかけてきた。文字どおり黒山の人だかりだった。さすがのイエス様も群集から逃れ、舟でテベリヤの向こう岸に渡られたんじゃ。

 すると人々は、なんと先回りして、舟より先に向こう岸で待ち構えている始末だ。群集も必死だ。実は、その中にわたしもいたのだがな。せっかくここまできたのにこのままイエス様を見失いたくなかったし、母がつくった弁当だけは渡さなければという使命感もあったしな。とはいえ当時九才で、小柄だったわたしにとっては、それはきつい行程だったなあ。

 それにしても、あとからあとから押し寄せる群集をみて、お弟子たちは、どうも機嫌が悪かったようだ。イエス様の疲れを心配していたのだろう。このおびただしい群集をどうしたもんだろうと思案していただろうしな。

 そのあたりは、人家もなく、ただ原っぱだけだ。早く群集を帰さないと日が暮れてしまう、というあせりが見え隠れしていた。わたしだって、早く家に帰らないと母が心配するだろう、と内心心配だった。

 そこで、こうなったら何としても早くこの弁当をイエス様に渡そうと、前へ前へと人込みをかき分けて進んでいった。もう夢中だった。そして何とかイエス様の姿が見えるところまで行くことができたんじゃ。


 いやいや、イエス様をはじめて目の当りにしたそのときの感動は、今でもこの年寄りを一気にあの時に引き戻すわ。

 イエス様は、大きく両手を広げて、そして大きな声でお話ししていた。やさしくて凛としたいい声だった。イエス様が話されると、それまでざわついていた人々が、まるで嘘のようにシーンとして、じっと聞いておるんじゃ。もちろんわたしも息を呑む思いで聞いておった。泣いておる人もいた。両手を合わせて祈るような姿勢で目を閉じていた女の人もいた。

 そこには、たぶん男だけでも五千人はゆうに越えていたんじゃないだろうか。もちろん女の人もたくさんいた。そう、子どももたくさん集まっていた。

 イエス様は子どもにやさしいし、好かれていたからなあ。話している間も、子どもが近くに寄ると、頭をなでたり、手を握ったり。ほんとやさしいお方だったから、慕われるのは当たり前じゃ。そういう子どもたちや女の人を入れると、結局、一万人以上はいたんじゃないかなあ。とにかくすごい人じゃった。

 つづく