バック・トゥ・ベーシック・シリーズ(1) 聖書通読 聖書を読み続け、読み通すために

聖書通読
小林 弘典
聖書同盟 主事

 「大切と分かっているけれど、なかなか続かない」という人のために、聖書通読ができない理由を考えてみましょう。まず残念ながら絶対の秘訣はない、と思います。うまくいっている誰かの真似をすればいいのであれば、もっと多くの人が通読の恵みを受けているはずです。通読は方法論だけによるのではなく、恵みによってなし得るものです。

 では、すでに主イエスを信じ、主によって生かされている人が、自分の信仰のためにできることは何でしょうか。 主への信頼をより強くするため、主に生かされる歩みをまっとうするために、私たちができることは何でしょうか。クリスチャンとして、私たちにできることがあるとすれば、それは、祈ることと聖書を読むこと、それだけです。

 またクリスチャンは、具体的に何に従って生きるのでしょうか。私たちは聖書に従って生きるのであり、私たちに対して権威を持つものは聖書だけです(聖書の権威に基づかないものは本当の権威ではありません。)

 主にお会いするために読む
 私たちは「神は聖書を通して私たちに介入してくださる」という信頼と期待を持っているでしょうか。ただの古い難解な本として聖書を読むことを通しても、聖書への理解が与えられるということはあります。しかし私たちは、聖書は神のことばと深く信頼し、主にお会いするために読むのであると強く期待して聖書に向かうべきでしょう。

 忙しいから読めない?
 私たちは忙しいという理由で、聖書が読めないのでしょうか。本当に聖書を読む時間さえない生活は、どこかに無理があるはずです。多くの忙しいクリスチャンは、忙しいほど、何よりも祈りと聖書の時間を大切にしています。それは、聖書を読み、祈る時間をささげることは決して無駄ではないという何よりの証拠です。クリスチャンとして二十四時間を最大限に使おうと願うなら、私たちはもっとみことばによって整えられる必要があります。一日のうち一時間であっても三十分であっても、その他の時間から取り分けましょう。

 信仰の状態にかかわらずに
 私たちは信仰の状態が元気で、健康でないと、聖書が読めないのでしょうか。聖書は、私たちが本当に苦しいとき、命綱のように光を与えてくれます。

 私は聖書同盟の「みことばの光」の聖書通読の箇所から、神学校の卒業論文の聖書箇所を与えられました。色々な面で途方にくれていたときでしたが、通読しながら心にとまった箇所から、在学中で最も充実した一年を送ることができました(こうして聖書同盟に身を置くことになるとは思いもしませんでしたが。)

 もちろん、聖書は苦しいときだけ開くものではありません。特に用事がないときにも気軽に会いにいける人にこそ、何かあったときに相談に行けるものです。いつも聖書を通して神の導きを求める習慣を身につけましょう。

 聖書通読の助けとなるもの
 私たちは聖書の概要を知っていないから、なじみのない用語の一つ一つを知らないから、聖書が読めないのでしょうか。聖書は難しいと言われます。その通り、本当に難しい本です。聖書は二十一世紀の日本人に向けてのみ書かれたのではありません。歴史的背景の知識がなければ理解できないところも多くあります。各々が助けになる本を持ってみてはいかがでしょうか。

 手軽な解説書としては『イラスト早わかり聖書ガイドブック』『聖書六十六巻がわかる』(いずれも、いのちのことば社)などが有名と思いますが、『聖書ハンドブック』(聖書図書刊行会)もお勧めします。編者ハーレイの力強い文章は、特に初めて通読する者にとって助けとなるでしょう。また、『新聖書辞典』(同)などを用いましょう。高額な大書ですが、常備図書として置いている教会も多いようです。また最近はCD―ROM版(『聖書の達人』ライフソフトウェア)もあり、携帯型PCに入れて便利に使っている人も多いのではないでしょうか。

 聖書に「分からないことばが出てきた」で終わらせるのではなく、即、調べましょう。その積み重ねが聖書への取っつきにくさを薄くしていきます。

 聖書のことばを信仰の糧として
 私たちの言動は、どれくらい聖書に添っているでしょうか。私たちが神の栄光を表すためには、私たちはもっと私たちの内に聖書の原則をたくわえる必要があります。しかし、一度に多く読む必要はありません。じっくりと向き合うには一日一章では多すぎるくらいです。少しずつ、読み進めていきましょう。多くの人が新たに、もしくは改めて聖書通読に挑戦されることでしょう。この一文がその助けとなりますように。一人でも多くの方が、聖書のことばを信仰の糧として受け取ることができるように願います。