ブック・レビュー 『この人を見よヨハネによる受難物語』

『この人を見よヨセフによる受難物語』
下川友也
日本同盟基督教団 日高キリスト教会牧師

十字架のことば、そのままに

 読み進むうちに、エマオ途上の弟子の気分。「聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」
いきなり本論に、核心に入っていく書き出しに感動。
人の修辞など不要である十字架のことばのインパクトを極力著者自身が伝えようとする。むだがない。むつかしいことがらをやさしく、深いことがらを親しく。さながら、老聖徒ヨハネが少壮の遠藤勝信牧師をさとしているそのままに、読者はメッセージを聴くことができるようだ。
ヨハネ福音書の研究者として、その特色を共観福音書との対比、引用で解説してくれる。どの章も味わい深いが、ひとつだけあげるとするならば、十字架の主イエスの祈り、叫びを解き明かすくだり、「私たちは罪がもたらす悲惨についてそれほど自覚がありません。神から永遠に引き離され、見捨てられるということがどれほど恐ろしいことであり、どれほどの渇きを私たちに与えるものであるかを知らないのです。それは、終わりの日まで保留されていて、だれもそれを味わっていません。しかし、それを先取りして味わった方がおられることを、聖書は証言しているのです」(九七頁)。鈍い私へのパンチ。
いくつかの気付きも与えられた。人の子は異邦人に引き渡され、の意味。使徒信条のポンテオ・ピラトの登場が、聖書釈義から説得される。ニコデモさんがアリマタヤのヨセフと共に主イエスの葬りに出かけたことの意味合い、またそのとき彼が持参した没薬の量のとてつもない大きさ。自分で調べればわかることかもしれないが、いちいち気付かされる著者のていねいな聖書へのアプローチ。随所にそれは感じられる。
最後に、牧師としての感想というより反省であるが、及ばずとはいえ、このように聖書に取り組み、教会で会衆に語る。その申し分のないお手本を見せていただいた。実際的な応用として、ふたりでする祈りのときに、順々に読み、恵みを分かち合おうと思う。