ブック・レビュー 『総説 現代福音主義神学』

『総説 現代福音主義神学』
瀧浦 滋
改革長老岡本契約教会 牧師神戸神学館 代表

聖書信仰に立つ組織神学研究の現代的視野の手引きとして

 東京キリスト神学校で教え聖書信仰陣営を担ってきた著者の待望の書である。エリクソンの組織神学が出るので、聖書の教理体系を説きおろす「教科書」執筆を遠慮し、ご自身「雑録」と称する形をとられた。一見、現代主要神学者を引用した、教理項目に沿う「福音派現代神学評論」の趣となった。評者もだが、聖書信仰のない教派で近代主義の言葉遊びに渇き、聖書の霊感された神の言葉に開眼し、有神的世界観・御子キリストの史実性・聖書無謬性を鍵と悟った者の思いからは、対現代神学弁証が退かないのだ。

 本書は「教理的神学」へのラブソングでもある。教理論、啓示論、聖書論が現代の文脈で弁証され、「神の死」に対する神論、多元主義に対するキリスト論の弁証もあり、贖罪論の重要性、聖霊と関係した教会論が説かれる。終末論は骨子が見えにくい。今後簡明な組織神学を書かれ、聖書教理の全体像をみせてほしい。

 本書で日本の聖書信仰陣営は現代神学に対する組織的弁証の手引きを持った。当分牧師、神学生必須の書になる。岡田稔氏の改革派教理学教本と本書で、組織神学研究の聖書信仰に立つ現代的視野の手引きが日本語で可能になった。

 しかしG・ヴォスの聖書神学のごとく、聖書信仰に立つ「本来の神学」とは単なる理性をでなく、霊感された聖書の言葉と福音の事実を前提にした神学である。現代神学ぬきでは市民権がないと卑下し、神学という中立的領域があると錯覚し、聖書の前提に立つなど学問でないと決めつけるのは、福音主義神学の「いろは」の致命的な勘違いだ。現代神学の羅列が学問ではない。聖書そのもので神を学ぶことこそ神学の学問なのだ。

 著者はそれを十分知りつつ、現代神学に毒され迷う教会を思うあまり、ポストモダンの渦中で聖書的教会一致の夢を追い、あえて現代神学のむなしい道をさまよってみせる奉仕をされている。そこに日本の聖書信仰を持つ教会全体の行末に対する著者の、羊を狼から守る牧会者としての心意気と献身を感じる。