ポケット人物伝 1 ハドソン・テーラー
 中国を越え、
世界に影響を与えた信仰者

 ジェイムズ・ハドソン・テーラー(1832年~1905年)は、イングランドのヨークシャーで生まれた。17歳のとき回心。19歳で清朝中国への強い召しを得て、1854年、21歳の時、上海に上陸した。一年後には弁髪し、中国服に身をつつみ、閉ざされた中国奥地に何度も入っていき、信仰文書を配り福音を伝えた。

 「すべての必要は神から」と愚直なまでの信仰を持ち献金のアピールもせず、また当時、英国の帝国主義の侵略を是としなかったテーラーは、英国政府からだけではなく他の宣教師からも非難を浴びていた。1860年に帰国し65年に中国奥地伝道団(CIM)を設立。だが、66年に最初の宣教師を24名を送ったものの、そこには自分の無力さを味わい、行きづまりあえぐテーラーがいた。

 4年間にわたるスランプを乗り越えたのは友人からの手紙だった。「どうしたら信仰を強くしてもらえるか。信仰を追い求めようと努めることによってではなしに誠実なお方に依り頼むことによって」そう書かれていた。

 「私たちは真実ではなくても、彼は常に真実である」(Ⅱテモテ2・13)。この事実が、雄弁でもなく、脆弱ですらあった彼を、生涯励まし続けた。

 1894年、日清戦争が勃発し、多額な賠償金を課せられた中国経済は、列強の支配の下、庶民の生活は圧迫の一途をたどる。その排外運動は義和団事件として頂点を迎えた。1900年、CIMの宣教師は58名が殺され、21名の子どもも両親たちと共に犠牲になった。しかしこの悲報の後の十年間は、それまでにもまして多くの実を残すことになった。

 テーラーが1905年に彼の愛した中国の湖南省で生涯を終えた年、CIMの宣教師は828名が働き、2500名がバプテスマを受けた。1905年から1915年に伝道団が基礎をおいた教会は416から754にまで増大した。1900年以降の回心者の数は十万人を超えると言われている。彼の言葉は、中国を越え、時代を越え、今も読む人の胸を打つ。