ロイドジョンズの魅力 [2]ロイドジョンズの魅力

櫛田節夫
神戸聖書教会牧師、西日本宣教学院理事・学院長

Ⅱ マーティン・ロイドジョンズの魅力

★ 世界的に偉大な器ロイドジョンズの魅力は多面的である。

[1] 器と経歴の魅力。
それは私たちを圧倒する。その魅力とは、二十三歳で宮廷侍医ホーダー卿の主任臨床助手としての才能豊かな彼が主の召しに応え輝かしい将来性を惜しげもなく捧げたことである。最も保守的なウェールズの田舎町の小さな教会に年二二五ポンドの謝礼(今日の貨幣価値ではいくらか、きわめて低いのは間違いない)で赴任した潔さである。さらにロンドンに赴任してからも八十一歳で召されるまでその姿勢を少しも崩さなかったのはすごい。有能な迫害者パウロが主の召しに応えてすべてを捧げて福音の使徒・宣教者として生涯従ったのに似ている。

[2] 説教者としての魅力。
博士は「私にとって説教は、人が召されてすることのうちで最も偉大で栄光に富んだものであるからです」と語った(『説教と説教者』)。深い祈りの中でみことばを綿密に調べ瞑想する。全体と個別の関係に心を配り真理・教理を把握する。その真理は聖霊による祈りに満ちた博士の人格のルツボの中で思索されバランスと論理性と迫力をもって「火に燃えた教理」として語られる。船に竜骨があるようにどの説教にも教理の骨格が通っている。それゆえ説教は一過性のものでなく重みと永遠性があり人々の心を捕らえて離さない。どの説教にも洞察力と知性のきらめきがあり信仰の論理がある。しかもそこに聖霊によるいのちとあたたかさがあり、さわやかさがある。流れるような自然さの中にも本格的な説教であることが納得される。聞く者に悔い改めへの迫りと恵みと神の愛の満たしがある。みことばによる魅了がある(spellbind)。たとえば『山上の説教』上巻の1から12を読むとよい。また下巻の27から30も。また博士の伝道説教が鋭い。邦訳はないが牧会初期の『伝道説教』(ウェールズのサンドフィールズでの二十一回の説教、一九三〇年頃か)『人間の窮状と神の力』(一九四二年)、その他詩篇と使徒の働きによる伝道説教はまことに心をえぐるように迫ってくる。ベサン夫人は「主人は牧師というより祈りの人で伝道者です」と言った。博士はウェールズでもウェストミンスター・チャペルでも英国各地でもたくさんの回心者を勝ち取った。博士の太いベースの迫力満点の説教と祈りを証しするテープは千六百本以上あり、入手できる。私事で恐縮だが一九七四年十月末、博士はすでに引退して七十四歳であったが、あるグループのリーダーの記念集会の折、筆者はウェストミンスター・チャペルの牧師室で博士に三十分間個人的にインタービューし、その後でその記念集会での博士の説教を直接聞く特権に浴した。さすが世界的な説教者だとの感を深くした。

[3] 説教の多様さと深さの魅力。
博士はモーツァルトを好み、説教構成で困難を感じたとき耳を傾け心がなだらかにされた。音楽に交響曲、各種協奏曲、歌劇などがあるように博士の説教には多様性がある。『エペソ書』八巻、『ローマ書』十四巻、『山上の説教』上下巻、『使徒の働き』四巻、『ヨハネ一七章』四巻、『ヨハネの手紙第一』四巻の講解説教、主題説教として『教会の権威』『教会の一致の基礎』『霊的スランプ』『リバイバル』『回心・心理的、霊的』『ことばに尽くせない喜び』(最後の二つは邦訳なし)等々、豊かで深い真理が語られている。

[4] 聖書の啓示に立つ人の確信と信念を持つ魅力。
換言すれば、必要なときに聖書信仰に基づき、全世界に向かってひとり立って真理を主張して止まない。ことに『教会の一致の基礎』に関してヨハネ一七章とエペソ四章の綿密な検討のうえでの確信は強く説得力がある。

[5] 超教派の交わりのリーダーとしての魅力。
有能な牧師・医者・大学教授などの中で長年にわたって五つ、六つのグループ(既述のⅠ[3]の項を参照)をリードするのは非常な能力、信仰、祈り、忍耐を要する。博士はそれを長年責任をもってかかわってきたのは素晴らしい。
 以上、簡単にロイドジョンズ博士の魅力を記してきた。何よりも主がこのマーティン・ロイドジョンズ博士を選び、二十世紀中葉の神の栄光を現す器として備えられたことを感謝しないではおられない。読者にいくらかでもお役に立てば望外の喜びである。読了を感謝。