一粒のたねから  第4回 「わからなければならない」のだろうか?

坂岡隆司
社会福祉士。精神保健福祉士。インマヌエル京都伏見教会員。

四年前の夏の終わり、突然、次男の高校から電話がありました。
「○○君が、ここ三日ほど登校していませんが?」
のんきな話で、私は次男がまだ夏休み中だと思っていました。たまたま妻も出張中だったので誰も気づかず、本人も黙っているので、まさに寝耳に水でした。
すぐに次男に問いただすと、やはり学校に行っていないらしく、理由を聞いてもはっきりしません。明日は必ず行くんだぞ―とりあえずそう言ってその日は終わったのですが、結局それから何日も同じような状態で、彼はいつまでも学校へ行こうとしません。
学校で何か難しいトラブルでもあったのだろうか。いじめか。それとも勉強について行けないのか。しかし、どうもそのいずれでもないようでした。親も学校もあれこれ考え、原因を探るのですが、さっぱりわかりません。何を聞いても彼は黙ったまま答えず、むしろどこか意志めいたものさえ感じます。かと言って何か行動を起こすでもなく、親である私たちは苛立ちを覚えるばかりでした。
十五歳といえば多感なころだ。こういうことだってあっていい。私は自分の十代のころを思い出して、あえてものわかりの良い親であろうとしました。しかし、心は悶々としていつまでも晴れません。結局、彼はその後一度も登校することなく、そのまま高校一年をもって退学してしまいました。
彼の中で何があったのか? どうしてなのか? これは実は彼自身にも説明できないことだったのではないか。そして「十五歳の悩み」は、おそらく本人にも親にも「わかる」ことをされずに、これからもずっと彼の心の中に残っていくのだろう。私は、そんなことを考えました。

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ところで、最近、「わかってくれない」と周囲を責める言葉をひんぱんに耳にするようになった気がします。そう言われると親も教師も支援者も、わかろうと一生懸命になります。わからない自分が悪い、わからない自分は能力がない、わからない自分は愛情が足りないと、自分を責めます。また、「病気の苦しさは、経験した者でなければわからない」とか、「自分も同じ障がいを持っているので、そのつらさはよくわかります」などとよく言われます。確かにそうかもしれません。それで、福祉の世界ではときどき、同じ障がいや課題を持つ者が、仲間(ピア)としてお互いを支援するということが行われています。「ピアサポート」と言ったりしますが、それだけ「仲間」であることの力は大きいということでしょう。
からしだね館でも、スタッフの及ばないところで、利用者どうしの「支援」がけっこう効果的に行われているのを見ることがあります。
問題になかなか向き合おうとしないある利用者(Aさん)に対し、別の利用者(Bさん)が「それは逃げだと思う」とズバッと言ったりしますと、同じ言葉でもスタッフのそれより格段に力があったりします。ただそれは、実際にBさんがAさんのことをわかっているからではなく、Bさんも当事者であるという事実がもつある種の説得力であって、もしかすると同じ障がいをもっているからこそ、個々の深い苦しみの部分がかえって理解しづらいということがあるかもしれません。
また、普通ワーカーは良い支援をするために、当事者を理解しようとします。そして当事者も理解されることを望みます。「わかる」ことは良い支援の前提であり必要だ、というわけです。しかし、「あのワーカーはよくわかってくれる」などと言われたときが一番危険で、実は当事者の喜びそうな言葉を選んで返し、面倒なことを避けようとしていることが多かったりするのです。
そう考えると、そもそも支援とは、相手のことが「わからない」ことを前提に、「わからない」もどかしさにじっと耐えるところから始まるのではないかと思います。「わからない」ことはまた、他者の悩みや問題を自分が代わって背負おうとする誘惑と傲慢から、私たちを守ってくれるものでもあります。
次男は、紆余曲折を経て、今は大学生になりました。彼が目指したのは仙台の大学で、合格の喜びにひたった二日後に、あの大きな地震が起こりました。そして彼はその大学に入学するために一人で被災地へと旅立って行きました。次男にとって、あの時の学校とは何だったのか。彼の内面に何が起こり、どう変わっていったのか。もう少し先のことだとは思いますが、いつかゆっくり聞いてみたいような気もします。