信徒のための注解書を使った聖書の読み方入門 第3回 注解書のありがたみ

水谷恵信
札幌キリスト教会召団 牧師

 私は十五歳から聖書を毎日読み始めました。注解書を初めて買ったのは大学に入ってからで、それは黒崎幸吉のシリーズでした。それから日本基督教団出版局の「略解」を買い、キリスト新聞社の『新聖書大注解』を買い、しばらくはそれだけで間に合わせていました。

 結婚して家庭集会が始まって、そこで聖書講話をしなければならなくなって、次々に注解書を買い整えるようになりました。

 今、私は牧師です。日曜日ごとに聖書の講話をしています。その準備に注解書は欠かせません。極めて学問的な『現代聖書注解』から身近な感覚で読める『デイリー・スタディー・バイブル』まで幅広く読み、現在の聖書解釈の大枠を確かめ、その中でメッセージを構築するようにしています。

絞め殺した動物の肉について

 私は今、北海道の農村で人生に行きづまりを覚えている人たちと共同生活をしています。その人たちと一緒に、毎朝、聖書の「使徒の働き」を学んでいます。その中で、実際に注解書を必要とした実例について紹介しましょう。

 例えば十五章二十節に関して、「動物の肉は、特に絞め殺した場合には食べてはいけない」とヤコブが言った理由が私には理解できませんでした。岩波版の聖書の注に「血抜きしない肉」とあり、NTDの注解書には「血のつまっている肉、つまり自然に死んだ、もしくは猛獣に引き裂かれた動物の肉」とあり、W・バークレーの注解書には「ユダヤ人にとって血は生命であった。だから、血が流れると、命も衰退して行くという意味になった。このため、すべてのユダヤ人が食する肉は、血が流れ尽くすような仕方で殺され、処理されたものであった。血は生命であり、生命は神の所有だったからである」と書いてあって、これで初めて理解できました。

リディアについて

 十六章で紫布の商人リディアについて調べる必要を感じてF・F・ブルースの注解書を紐解くとこんなことが書かれていました。「パウロが新しい町を訪れた時は、これまで見たように、到着後最初の安息日にその地のユダヤ人会堂に出席し、そこで先ずユダヤ人にキリスト教の使信を伝える機会を求めるのが慣わしであった。しかし、ピリピには会堂はなかったらしい。そのことは、その地にユダヤ人が極めて少数しかいなかったということを端的に示すものである。(中略)婦人の数はどれだけあっても、定員数を充たすために必要な一人の男子会員の欠けをすら補うことができなかった。しかし、町の外には非公式な集会場があって、そこには多数の婦人たちが、安息日のために定められたユダヤ教の祈祷の式をすませるために集まった」。リディアとパウロの出会いがどんな状況の中で起きたか、これで生き生きと想像できます。

 バークレーは次のように書いています。「この婦人は上流階級の出身であった。婦人は紫布の商人であった。紫の染料は、ある種の貝殻から一滴一滴集められねばならなかった。それは非常に高価なものであったため、毛織物一ポンド(四五三・六グラム)染めるのに、お金が四ポンド(四千円)かかるほどであった(一九六八年版)。リディアは金持ちの婦人であり、また商人貴族であった」。

 シュラッターはこう書いて、私に注意を促します。「リディアはピリピでは外国人であった。彼女の故郷はアジア州のティアティラであった。彼女は紫布を売るためにピリピに定住した」。

 私は、彼女もパウロ同様、外国で心細い生活をしていたのだろう、という感慨をもつだけでしたが、村上宣道は「ティアティラからわざわざピリピに市場を求めて来たくらいだから、なかなか積極的なやり手の婦人であった」という感想を述べています。