失って得たもの 心の穴は空けたままで インタビュー 森 祐理さん(前半)

インタビュアー上山 要 「聖書と精神医療研究会」理事
笹岡 靖 「聖書と精神医療」編集長
森祐理森 祐理

NHKの歌のお姉さんとして活躍していたときに声を失うという経験をする。「もし再び歌えるのなら、神様のために歌いたい」と願い、福音歌手としての道を歩み始める。一九九五年の阪神淡路大震災では弟を失う経験をし、今では世界中の被災地に赴き、コンサート活動を続けている。

__祐理さんはコンサート活動を通して、多くの方に慰めを与えていらっしゃいますね。

 コンサートで賛美をしていると、涙を流しておられる方もたくさんいらっしゃいます。立派な紳士の方が、男泣きされることもありますし、ある女性の方が、「私は人前でこれだけ泣いたのは生まれて初めてです」とおっしゃられることもありました。

__祐理さんご自身が阪神淡路大震災で弟さんをなくされた経験というのは、その聴衆の涙とは関係があるのでしょうか。

 「人を癒すには自分が傷つかなければならない」というマザー・テレサの言葉があります。自分が痛んで初めて、第三者の痛みというものがすごくわかるようになりました。ですから、心の穴が空いたおかげで、自分の中だけの狭い世界や、自分の思いだけで生きていた世界が、広がっていったっていう気がします。

__祐理さんは、「心に穴があく」という表現をよく使われますよね。

 はい、わたしにとっての「心の穴」は、弟の死がきっかけです。

 私の弟は、背が高くてがっちりしていました。ですから、毛布に包まれた弟の遺体は、まるで丸太のように見えたのです。弟が、四人ぐらいの男の人によって我が家に運ばれて来た時、その「丸太」が心に突き刺さり、大きな穴が空いたような、そういう感覚になったのです。

__コンサートなどで祐理さんのお話を聞いていると、空いた穴を埋めるというよりも、そこからいろんなものが見えてきたり、入ってきたということを感じさせられます。

 そうですね、何かを喪失したとか、心の一部に穴が空いて欠落したという意味ではなくて、穴が空いたおかげで世界が広がったっていうような感じなんですね。そして、その広がったところから、いろんなものが入ってくるようになったんです。

 今まで見えなかったこと、例えば、この人はこんなに痛んでいたんだなとか、その人に対して冷たかったなとか、今だったらこういう風にお返事したのにとか、それまでとはまったく違うとらえ方をするようになりました。

 この穴が空いたおかげで、いろいろな人からの言葉が「嬉しい。こんなに心に響くんだ」って感じられるようになりました。

 手に傷があったら、水で洗うだけで沁みますよね。だから、心が敏感でいられるように、私にはその穴が必要だったんだって思います。弟が命をもって空けてくれた“穴”を、私は大事にしていきたいなと思います。

__では、その穴を埋める必要は……

 私は、一生空いたままでも大丈夫だと思います。

 震災後、さらに多くのコンサートで忙しくしていた時です。ある女性の牧師さんが「祐理さん、あなたの心の中に悲しみが見えるわ。でも、イエスさまはその悲しみをお癒しにはならないでしょう」とおっしゃったのです。

 すごくガーンとなりました。びっくりして、「えっ、どうして癒して下さらないんですか? イエス様は悲しむ者をお癒しになるお方じゃないのですか」と尋ねると、その先生は「イエス様は悲しみをお癒しになるお方です。でも、あなたは、悲しみを持っている方に対しての大きな使命があります。その方たちに対する思いが“うそ”にならないように、あなたの中に悲しみを残され続けようとされている気がします」とおっしゃられたんです。

 その時はわかりませんでしたが、今、その言葉の深さを思わされています。自分自身の痛みがあるからこそ、人の心を思いやることができるようになれるのなら、痛みも感謝して受けていきたいと思います。

__祐理さんと同じように多くの方が震災を経験しているのですが、すべての人が祐理さんのように「前向き」に整理できている方ばかりではないと思うのですが。

 その通りかもしれませんね。私自身の歩みと私の両親の歩みを見ていても、ひとりひとりの癒しの過程は、速度が違うのだなと思います。震災後、被災地に出て行き、がれきの中で、救援コンサートをしました。多くの方に支えられ、私も、痛みを持っている人に励ましを届けたいという思いで歌いに行きましたけれど、逆に励ましを受けたのは私の方だったと思います。歌えば歌うほど、結果として励まされ、癒されて私自身が回復できたんだと思います。