守部喜雅氏 特別インタビュー! キリシタン迫害の時代、日本人はどう生きたのか

「NHK大河ドラマは全国で放映されており、しかも主人公が、昨年に続きクリスチャンというのですから見ないわけにはいきません」と語るのは、「聖書を読んだサムライたち」シリーズの著者・守部喜雅氏。新島八重に続き、現在放映中の大河ドラマ「軍師官兵衛」(日曜午後八時~)の主人公は、キリシタン大名として知られている人物である。

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黒田官兵衛(一五四六―一六〇四年)は、戦国時代および江戸時代の武将。大名は多くの側室を持つのが当然だった時代に、一人の妻だけを愛し、軍師として豊臣秀吉から厚い信頼を受けた人物である。彼は、一五八七年に秀吉が出した伴天連追放令以後、キリシタンとして表舞台から消えたため、棄教したのではと言われたが、守部氏は「信仰について沈黙していたときも、実は背後で、宣教師たちを守ろうと懸命に努力していたのが官兵衛です」と語る。
秀吉の死後、九州でキリシタンとして活動した官兵衛の姿は、イエズス会年報などの資料に記されているという。黒田官兵衛に関する日本側の資料はほとんどない。キリシタン禁制が二百六十年も続いたため、キリシタン大名に関する資料が抹消されたのだ。
「ですから、大河ドラマによって、人々の関心がキリシタンに向くことは、教会にとっても大きなチャンスだと思います。大河ドラマを観ている人々と、信仰について共通の話題ができると思います」と守部氏は語る。その思いを込めて、今年三月、『天を想う生涯―キリシタン大名 黒田官兵衛と高山右近』を出版した。
「キリシタンに対する迫害の歴史の取材を進める中で、信仰とは何か、ということを問われました。もしかして現代の日本の教会は、信仰の本質を見失ってはいないか。あの時代は、キリシタン迫害の時代です。徳川幕府によるキリスト教禁教令(一六一二年)によって、多くの殉教者が出ています。しかし彼らは、苦しみさえも神の恵みと受け取り天国への希望を抱いて死んでいった。ですから、本の題名を『天を想う生涯』としました。たとえ殺されても、信仰を捨てなかった日本人がいたという事実を多くの人に知ってもらいたいのです」
島原の乱(一六三七―三八年)を調べようと長崎県・島原に行ったとき、数々の殉教者のエピソードに驚かされたという。
「島原の乱では、三万七千人が亡くなっていますが、三分の一がキリシタンと考えられています。島原の殉教者の中には十二歳の少年もいますが、どんなに残酷な拷問を受けても信仰を捨てなかったという記録もあります。聖書に『あなたがたは、キリストのためにキリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです』(ピリピ1・29)とありますが、確かに苦しみさえ恵みとして受け取っているのです。人間にはいのちより大切なものがある。本当にそうだと思います」
守部氏は、長年、中国伝道にもかかわっているが、そこでも迫害の中での信仰の真実を見るという。
「苦しみさえも受けて、いや、むしろ苦しみのゆえに、神様ご自身に目を向ける人々の姿を知ってほしいと思います」

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二〇〇九年、プロテスタント百五十周年記念として執筆依頼された『日本宣教の夜明け』(現在品切れ)がきっかけとなり、その後も『聖書を読んだサムライたち』(二〇〇九年)『勝海舟最期の告白』(現在品切れ)『サムライウーマン新島八重』『龍馬の夢』(ともに二〇一三年)を執筆している守部氏。
昨年は新島八重についての講演会を六十件ほど行い、今年も、黒田官兵衛についての講演依頼がすでに五十件近くあるという。
「黒田官兵衛と高山右近は戦国武将でありキリスト教徒であった。この一見、ミスマッチに見える生き方から、今の日本に何が必要か、私たちはこれからどこへ行こうとしているのか――そのような本質的な問題を考えてみたいのです」

聖書を読んだサムライたち シリーズ第5弾!
『天を想う生涯 キリシタン大名 黒田官兵衛と高山右近』
四六判 168頁 1,200円+税

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