弱さとともに生きる
―インタビュー・スペシャル! ◆弱く小さくあることに、丁寧に付き合う

京都市は精神医療・福祉の発祥の地だ。左京区の岩倉がその地とされ、平安時代から、精神障害者を助けるコミュニティが形成されていたという歴史がある。『一粒のたねから』の著者坂岡隆司さんは、その京都市にある社会福祉法人ミッションからしだねの理事長を務める。

山科区の幹線道路沿いに十字架を掲げた精神障害者施設「からしだね館」はある。〝ミッションからしだね〟は、ここを拠点に精神障害者の自立と社会参加の支援を目指して活動している。からしだね館の名は、新約聖書マタイの福音書13章に由来する。「ここに集う人たちが生きる力を回復し、一粒の小さなからし種を握って外に出て行き、それぞれに与えられた使命に生きる者とされることを願って」名付けられた。「弱く小さくあることに丁寧に付き合っていきたい」二〇〇六年のオープン以来、この〝ミッションからしだね〟の福祉を貫いて今に至る。
坂岡さんが、障害者福祉の中で最も遅れていた精神障害者福祉に挑戦したのは十二年前のことだ。
老人施設の施設長をしていたときに、知人の社会福祉法人「フジの会」の砂川祐司理事長から、精神障害者のための施設を作らないかという相談があった。砂川さんの「キリスト教がやらないでどうする」ということばに、坂岡さんは突き動かされた。「キリストは、病人や障害者を訪ね歩いて助けられたのではないか。教会に集まって、話を聞いて、それで一体あなたたちは何をしているのか、と。これは、私たちクリスチャンが謙遜に受け止めなければならないことばだと思いました」
精神障害者福祉は、根強い偏見や無理解との闘いになる。明らかに困難な道を切り開くべく、坂岡さんを中心にしたクリスチャンたちが集結して、社会福祉法人ミッションからしだねが設立された。京都市お墨付きで施設の建設が決まり、さあこれからというときに、建設予定地の住民の反対で計画は流れた。「ここまで社会は精神障害に対して理解がないのか……」。
落ち込む中で、坂岡さんは、それならば、どうしても施設を作らなければと考えた。「いくら精神障害者の犯罪率の低さなどを訴えても、世間は精神障害者を恐ろしい存在だと思い込んでいる。そういう人たちは、普段から精神障害者と接する場がなければ理解のしようがない」
障害者が働き、生活する場に、近所の人々も自由に出入りできるような場所を作ろうと、ミッションからしだねは再び立ち上がった。この挫折を経験していれば、今後何があっても乗り越えられるとも思えた。二〇〇六年六月、新天地でからしだね館はオープンした。一階に利用者の職場であるカフェ・トライアングル、地下にはだれもが使えるホールを備え、精神障害者福祉のコミュニティスペースをめざした。

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現在、ミッションからしだねは「就労継続支援B型事業」と「地域支援生活センター」という二つの事業を柱に活動している。B型事業ではカフェ、配食サービス、印刷・デザイン、高齢者共同住宅のヘルプ業務など、仕事を通して利用者が自信と力を回復できるよう支援する。生活センターでは、相談や情報提供、居場所の提供など、利用者のニーズに対応している。講演会やイベント企画なども活発に行い、地域交流や啓発活動につなげている。
著書に次のような一節がある。
「信仰者にとって夢を持つ、ビジョンを抱くということがどういうことなのか(中略)それは、必ずしも条件が整っている中で作る、きっちりとした計画ではありません。かといって、無謀や無茶とも違います。ただ、何かに突き動かされて心にともった灯りのようなものを、どこまでも消さずに大切に保ち続けることです。そして、人としてやるべきことを尽くしつつ、そこから始まる不思議な神の業に付き合っていくことです」
灯りを見い出し、一歩を踏み出せ、と坂岡さんは語る。仕事は喜びに満ち、苦しみは尽きない。課題は山積み、いろんな人がいて、いろんな悩みがあることには驚くばかりだが、踏み出せばそこに神の業がある。
そんな日々を著した随想集『一粒のたねから』は、ぜひクリスチャンでない人にも読んでほしいという。
「クリスチャンになれば悩みがないなんて大間違い。のたうちまわり、ぶつかりながらやっています。この現実の中で生きている信仰者の姿を知ってほしい。そして、クリスチャンは決して特別な存在ではないけれど、しかし、キリストに救われた特別な存在であるということが伝われば。まだ人生の途上。困難は多々ある。けれども背後にイエスさまがおられるから大丈夫、生きていけます」

『一粒のたねから』
坂岡隆司 著