往復メール shioya Vol.3 礼拝のスタイル

塩谷達也
シンガー/ソングライター/プロデューサー JECA 西堀キリスト福音教会会員

 僕は、ゴスペルの洪水に包まれる黒人教会の礼拝も愛しているし、オーソドックスな賛美歌が歌われ、魂の底にしずくが垂れてくるような母教会の礼拝も愛している。それは好きだとかきらいとかのレベルではなく、そこで僕は自分にとって「いのちの源」である主に向かってぶち抜けられるから。ライフラインなんだ。

 ゴスペルを歌っていると、母教会でもゴスペルで賛美をしてると思われることが多い。また、ゴスペルの働きをしている友人から、自分の教会でゴスペルがなかなか理解されない、という声を聞くこともある。うん、みんなそれぞれだね。でも大事なことはスタイルじゃない。そしてスタイルはひとつじゃない。この多様性や個性は神が僕らに与えてくれたもの。そして神は、その中から自分の魂がほんとうに響き合えるものを選ぶことのできる自由を与えてくれた。僕はその自由を大切にしたいし、全力で楽しみたい。だからこそ、その違いや混沌の中で、主にあってひとつになれる喜びがあふれだす。これはゴスペル・クワイアを指導していても思う。みんなが同じ顔をして、同じ場所から来て、同じ服を着て、同じ境遇にあるなんてあり得ないんだから。

 大切なことは、自分が主に向かってすべてを吐き出し、解放することのできるスタイルを求め尽くすことだと思う。渇いて、渇いて、そこに向かって、身を投げ出すことだと思う。だれかがそれを見つけ心から喜んでいるなら、それをリスペクトする。たとえ自分のしびれるスタイルとは違ったとしても。

 敬のイギリス留学時、ヨーク・ミンスターに案内してもらったよね。僕が信仰を持って間もなくのころだったけど、そこで積まれてきた名もない人々の祈りの延長線に僕もいるんだと思ったのを覚えてる。そういえば、敬がイギリスで通ってた2つの教会も対照的だよね。敬もいろんな賛美や礼拝を体験してるんじゃない?