折々の言 11 小さな夢の実現(2)

工藤 信夫
平安女学院大学教授 精神科医

 一、ある若い夫婦の例

 前回、私は病院組織を去って大学に籍を置くことによって、時間の余裕ができ、様々な立場の中にある人の個人的相談やご家庭に直接お邪魔できる機会が与えられたという意味の話をしたが、そうした思い出の一つに、ある若い夫婦の話がある。

 当時神学大学に移って間もなく、私は日本で有数の歴史をもつという、ある幼稚園でお話をする機会を得た。その若い園長が長年、私の本の愛読者であったからである。

 その前日、よくあることだが、若い母親の相談を受けた。一人息子が自閉症だというのである。期待した第一子がそうであったことからかひどく動揺して、それまでの苦労とこれからの心配をいろいろと話してくれた(後でお聞きしたことであるが、当時は彼女自身何が何だかわからなかった状態であったという。)

 しかし幸いにもこの講演会が好評だったらしく、その後そこに読書会が発足したので、その方面に出かけた折り、途中下車をして、この親子に何度かお目にかかる機会を得た。というのはこの親子には、何か非常に人間的なあたたかさ、魅力というものが感じられたからである。

 さて当面は、理解のある幼稚園だったので、その子は友だちにも恵まれ、順調な幼稚園生活を送ったが、問題は就学時に、近くによい学校施設が見つかるかどうかということであった。

 ところがおもしろいことに当時、大学の教え子の中にすこぶる自閉症の扱いにすぐれた能力を発揮する福祉の卒業生がいて、私はこの若いご夫妻と子どもさんをその施設にお連れしたことがあった。

 そして幸いなことに、若いそのご夫妻は、その訪問の後も長くこの卒業生から様々な情報のサポートをいただくことになるのである。

 また別の機会には、とてもおいしいパンを作って広く地域の人々に喜ばれたり、様々な仕事があって、必ずしも将来決して不安ばかりではない、立派な公的機関に案内したこともあった。やはりそこのスタッフが当時、私が年一回出かけていたあるお家の家庭集会に参加されていたからである。

 とにかく福祉科のある神学大学に移ってからの私は、何とかこうした若い方々を励ましたいという気持ちでいっぱいだったのだろう。

 二、私の得た恵み

 しかし私が驚いたのは、昨年やはり近くに行くことがあり、この若いご夫妻ともう一組アメリカへの移住をめぐって何かとご相談にのった別の若いご夫婦、ご家族と食事をともにしたときに見た、お二人の成長ぶりであった。

 少し余裕が出たのか、「ずいぶんお世話になりました」と言って両方のご夫婦が、食事、宿泊代を持ってくださったのだが、かつて私の前で大きな涙を流された奥様は、すっかり元気になられ、ご主人は誰が見ても立派な「お父さん」に成長しておられたのである。

 むかし、この若い父親は、自分の子どもが「可愛くないの?」と尋ねられて、「何ともいえない。俺にはわからん」と答えるのが精一杯だったという(おそらく母親と違って、父親は概してそんな反応をするのではないかと思う。)それがあるときから、夕方、この男の子と散歩し、一緒にお風呂に入り、それを続けているうちに、何かお互いに親しみが出て、仲良くなってきたらしいのだという。たしかにことばによる交流はないものの、何か非常に安定した親子関係なのである。

 私はふと思った。そういうなかにまた改めて、可愛い女の子が与えられて、このご家族はいっそう幸せになるのではないかと。

 つまり「自閉症の子を抱える」という体験が、先導者のようにそのご家庭の土壌を豊かにしてくれたのではないかということである。

 ともあれ「たまたまの機会から、継続的に声をかけ、そのご家族の成長をともに喜ぶ。」この基本的な喜びを、この若い夫婦は私に与えてくれたのである。

 三、宣教ということ

 そして今、私はこのエピソードをふと思い出して、「出て行く」ということは、ことのほか、大きな意味を持った出来事のように思われてくる。

 よく知られている聖書のみことば「出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ一六・一五)ということの意味である。

 それは単にそこに福音を伝えるということだけではなく、その家、その人個人の悲しみに立ち入ってその悲しみや憂いをともにするということではないだろうか。

 足繁く、また慎みをもってその人々の悲しみに関与せよという意味合いのことでもあるのではないだろうか。

 新しい女子大に移って間もなく、二時間半の道のりを毎週車で走って、私の講義を受けにきた一人の受講生は、それまで保母さんをしておられたが、家庭訪問のとき「そのお家に足を踏み入れてはじめて、この子どもを理解できる」と教えてくれたことがある。実際そうであろう。

 だとすれば、「出ていく」ということは、意外に大きな意味を持つことになる。いずこの家庭も、いずこの人も人生の諸事情に病み、心痛めているにちがいないからである(もちろん、人の心には触れてほしくない「そっとしておきたい」ことがらもあるにちがいないから、その訪問というのは侵害的であってはならないのは当然のことであるが……。)

 ともあれイエスがパンをさき、その御身体を分かたれたように、私たちの生も、福音も、善意も、関心もいつか分かたれ、小さな流れのまにまに、いずこの岸にか流れついて、その場を潤すものになる側面をもっているのではないだろうか。少なくとも10月号に述べた「与えられた生命をどう使うのか」という燃焼型の人生を考えねばならない人生の後半に、そのことは大切なことである。

 聖書のなかに一つのすてきなみことばがある。「ああ、うれしいかな、よき福音を伝える者の足は」というみことばである(ローマ10・15)。悲しみに満ちた世に、小さな善意、一言の言葉かけが大きな働きをすることは事実のように思われる。