教会の成熟を妨げている“心の傷”に福音の光を
『情緒的に健康な教会をめざして』 情緒的・霊的 健康チェック〈判定〉

〈 判定 〉

 回答した数字番号の数を合計し、4分類をご覧下さい。合計点数は、各問いそれぞれについて。考察は本書より一部抜粋。
問1と問2問3
情緒的な幼児7点以下5点以下
情緒的な子ども8~14点6~10点
情緒的青年15~21点11~15点
情緒的成人21~28点16~20点

〈情緒的な幼児〉

 人々に関心を持って世話をするよりも、人々が自分のことを気遣ってくれるよう望んでいる。自分自身の感情を健全な方法で表現したり、味わったりすることに難しさを覚えることがある。また、他の人の感情を理解することも難しい。ほとんどの場合、直ちに満足を得たいという欲求に駆られていて、人々を自分の必要を満たす道具として利用してしまい、自分の言動が彼らにどのような影響を与え、あるいは苦痛を与えているのかに気づかない。

〈情緒的な子ども〉

 身体がいまだ子どものように、人生が自分の願うようなものとなり、また欲しくて必要なものがすべて与えられているときには、満足し、情緒的にも安定している。しかし、失望、ストレス、悲劇、怒りが自分の世界に入ってくるや否や、内側で感じていることをあらわにする。意見の相違を個人的な攻撃ととらえ、簡単に傷ついてしまう。自分の思うようにいかないときには不平を言い、不機嫌さをぶつけ、人から身を引き、操作し、ぐずり、皮肉っぽくなり、仕返しをする。自分は何を必要とし、彼らから何を期待しているのかということについて話し合うときなど、冷静に、成熟した愛を持って語り合うことが難しい。

〈情緒的青年〉

 身体が青年期のように、大人の社会に適合する言動がどういうものであるかを知っている。建設的な批評を受けると、内心恐れおびえている。そして、すぐに自分を守ろうとする。密かに、人に与えた愛の行いの記録をつけていて、あとで何かを返してもらおうとする。問題が生じたときには、自分の過ちを認めるが、相手のほうがもっと責められるべきであることを証明して、そちらのほうが悪いことを示そうとする。人々の痛み、失望や必要に耳を傾けようとしたとしても、自分自身が生き延びることに必死なので、自分のことで精いっぱいになってしまい、聴くことができない。

〈情緒的成人〉

 人々を変えようとせずに、また批判的になることなく尊敬し、愛することができる。配偶者、両親、友人、上司、また牧師に対して、その人が自分との関係において自分の必要に応えられるよう完全さを要求することはない。人々のありのままを、すなわち、長所も短所もひっくるめてそのままを愛する。また彼らが自分に何をくれるのかとか、どのように行動するかといったことと関係なく愛し、感謝することができる。自分の思い、感情、目標、また行動に責任を取る。ストレスがあるときには、被害者意識に陥ったり責任転嫁をしたりしない。自分の信条や価値観を、敵対することなく、違う意見を持っている人々にも語ることができる。自らの限界、長所や短所を正確に評価することができ、また自由に人々とそれらについて語り合うことができる。自分自身の感情や心の動きに親しんでおり、人々の感情と共鳴することができる。また人々と、気持ち、必要、そして関心というレベルで関わりを持つこともできる。イエスに完全に愛されていることを心で実感することができ、人々に対して自分を顕示する必要も全くない。