新約聖書よもやま裏話 第13回 使徒の働きは「第2ルカ」

伊藤明生
東京基督教大学教授

伊藤明生 使徒の働きは、ルカ福音書の続編である。「第二ルカ」文書などと呼んでみると、少々新鮮に聞こえるかもしれない。内容的には歴史書であるが、だからといって初代教会の歴史を網羅しているわけではない。

 使徒の働きで言及されている出来事や事象は、焦点が絞られている。イエスの直弟子たちの中でも活躍の様子が描かれている人は限られ、まったく触れられていない弟子もいる。おおざっぱに言えば、前半の主役はペテロ、後半の主役はパウロである。

福音宣教の拡大

 『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります』(一・八)と、よみがえられたイエスは弟子たちに語っている。まさに使徒の働きの主題は福音宣教の拡大についてだ。

 しかし、単なる地理的な広がりだけが、ルカの主な関心事ではなかった。

 「生粋のユダヤ人」から始まり、ギリシヤ・ローマ世界の文化を吸収したユダヤ人(「ギリシヤ語を使うユダヤ人たち」〔六章〕、ヘレニストなどと呼ばれる)、異邦人でありながらユダヤ教に改宗した者、改宗の過程をまっとうしないまでもユダヤ教に大いに関心のある異邦人(「神を敬う」者)、さらにはユダヤ教とはかかわりがなかった異教徒であった異邦人、と民族的にも文化的にも福音宣教が拡大されていく様子が描かれている。

 「ギリシヤ語を使うユダヤ人たち」の中から選ばれたステパノは、議会での弁明で、イスラエルの神である主はエルサレムの神殿に縛られることなく、自由に主権的にみわざをなさってきたことを強調した。ピリポは、ユダヤ人が異端と軽蔑していたサマリヤの人々やエチオピヤの宦官に伝道した。ペテロは、神の導きの結果、異邦人であった百人隊長コルネリオのところに出かけて行って伝道した。そしてアンテオケ教会は、バルナバとパウロを福音宣教に派遣したが、予期しないことに異邦人の間で福音宣教のわざが大いに祝福された。

異邦人の救いについて

 もともとユダヤ人であるキリスト者たちは、「キリスト教」をユダヤ教内の一派程度にしか考えていなかった。コルネリオが回心したり(一〇章)、パウロの第一回伝道旅行(一三、一四章)を通じて、キリストを信じる異邦人たちが起こされた。

 ここで、論争が起こった。異邦人たちはキリストを信じただけでは不十分で、ユダヤ人の慣習である割礼を受けて律法を守らなければ、一人前のキリスト者、神の民の一員にはなれない、と言い出す者が現れた。

 異邦人はキリストを信じさえすれば救われるのか、それともユダヤ教に改宗しなければ神の民の一員になれないのかが真剣に議論された。一五章の「エルサレム会議」である。

 その会議では、異邦人は、ユダヤ教に改宗せずともキリストを信じさえすれば救いは十分であると結論が出た。割礼、律法遵守を救いの条件とはしなかった。

 また、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者とが交わることによって障害となる事柄については、少数派であった異邦人キリスト者がユダヤ人キリスト者に対して配慮するよう付帯事項が決議され、「使徒教令」にまとめられた。

準備が整って

 エルサレム会議で神学的な解決を見た後、パウロたちは本格的に異邦人宣教へと邁進する。それは、パウロたちが立てた計画に基づいていたのではなかった。御霊はパウロたちが小アジアで福音を語ることを禁じたからである。

 パウロたちは、困惑したが、幻の中でマケドニヤ人が助けに来てくれと言う声を聞き、それが神の御心だと確信してマケドニヤ宣教へ、ヨーロッパ伝道の第一歩を踏み出した。

少しも妨げられることなく

 歴史の主は神の民をどのように歴史のただ中で一歩一歩、着実に導かれたのかを、ルカは書き記した。

 タルソ出身のパリサイ人サウロが、ダマスコ途上で復活した主イエスに出会って回心し、「異邦人の使徒」として召命が与えられたことが、繰り返されている(九、二二、二六章)。そしてパウロは、自費で借りたローマの家に住み、訪れてくる人々に大胆に妨げられることなく福音を語った、とルカは書き終えている。

 実は、ルカが福音書と使徒の働きの二部作を著述して伝えたかったことが、二部作の最後に凝縮されている。それは、異邦人の使徒パウロが帝国の都ローマにたどり着き、身柄を拘束されたままではあったが、「大胆に、少しも妨げられることなく」福音宣教に携わったという事実なのである。