新約聖書よもやま裏話 第2回 「もとはバラバラだった」聖書正典論はじめの一歩!

伊藤明生
東京基督教大学教授

伊藤明生 新約聖書には二十七の書がある。その中でパウロが書いた手紙十三通を見ると、七つの教会(ローマ、コリント、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケ)あての計九通の手紙と、個人(テモテ、テトス、ピレモン)あての四通の手紙がある。

 手紙とは、具体性、個別性が強いもので、差出人が受取人に伝えたい具体的な内容を書き送るのが普通である。パウロがピレモンに書き送った手紙も、個人的で具体的な内容であった。

逃亡奴隷オネシモ
 ピレモンあての手紙は、獄中にいたパウロ(「キリスト・イエスの囚人であるパウロ」)が主にある友人ピレモン(「私たちの愛する同労者ピレモン」)に書き送った手紙である。パウロは、ピレモンの奴隷オネシモのことで手紙を書いている。

 オネシモは何かの理由で主人ピレモンのもとから逃げたらしい。パウロの身の回りの者が逃亡奴隷のオネシモに出会い、獄中のパウロのもとに連れて来た。そして、オネシモはパウロの導きで主イエスを信じて救いに与った(「獄中で生んだわが子オネシモ」)。パウロは今、このオネシモを主人ピレモンのもとに送り返そうとしている(一二節)。

 逃亡奴隷であったがキリスト者となったオネシモを、許して受け入れるように(一六節)、とパウロはピレモンに頼んでいる。そして、オネシモが脱走したために主人のピレモンが被った損害を弁償することを約束している(一八節)。証文の意味合いが込められているので、自筆で書いたことが強調されている(一九節)。以上の内容で、わずか二十五節の手紙である。手紙を書くパウロ

 ピレモンへの手紙でのパウロの用件は、簡単明瞭! 逃亡奴隷のオネシモはもうキリスト者になった、自分に免じて寛大に扱ってくれ、と。はたしてこの書は、現代においてどのような意味があるのだろうか。

 もし、ピレモンが一読して、内容を了解して処分したり、引き出しにしまい込んだりしていたら、現在、私たちが新約聖書の一部として読むことはなかった。ピレモン、もしくは他のだれかが、この手紙に直接の用件以上の意義を見いだしたに違いない。

 私たちキリスト者の境遇とオネシモの境遇とは、類似している。私たちはキリストの贖いのみわざのおかげで罪から自由にされているが、キリストの血潮によって買い取られた私たちはキリストのしもべ(奴隷)でもある。オネシモはキリスト者となって、自由になったが、ピレモンの奴隷である事実は変わらない、など。手紙の用件以上の意義とは、福音の理解に通じる事柄だ。

 手紙であったので、当初は一部しかなかった。それをだれかが書き写し、さらに多くの人々が読み、意義を見いだした。広く諸教会で読まれることを通して、さらに意義深さが知られて、神学的深みも認められるようになった。

新約聖書はどうできたか
 私たちは、聖書と聞くと、新旧両約聖書六十六巻、または新約聖書二十七巻が一冊に製本されたものを思い浮かべる。

 もちろん、新約聖書編集委員会などというものはなかった。編集委員会が、『新約聖書』というものを企画立案して、どういう構成にするか、どの書をだれに執筆してもらうかなどをあらかじめ話し合い、依頼して、各執筆者が編集方針に基づいて執筆し、その後まとめられた、というわけではないのだ。

 新約聖書における各書の執筆者は、基本的に他の執筆者たちの執筆計画などを知らずに執筆した。そして、後に結集されて新約聖書二十七巻が成立した。

 新約聖書の記者たちは、皆、御霊に働きかけられて各書を執筆した。しかし、必ずしも自分が神のみことばを書いていると意識していたとはいえない。読者である周りの教会の人たちに、すぐさま神のみことばとして普遍的意味ある書物だと、認められなかったかもしれない。

 書かれた時点ですでに神のみことばであったが、諸教会、ひいてはキリスト教会全体が、新約聖書二十七巻を神のみことばだと認めるには時間を要した。

 キリスト教会では当初、旧約聖書のみを聖書として扱っていた。イエスの弟子たちが語ったイエスの言葉や行いが、さらに語り告げられ、福音が宣べ伝えられるにつれて、キリスト教会は地理的、文化的、民族的に拡がって行った。

 それと同時に様々な教えも拡がり、正しくない教え(異端)も広まった。正しくない教えの文書も書かれ、読まれるようになった。そこで教会は、どれが正しい教えの書物であるかを決める必要に迫られたのである。

 迫害と異端との闘いのただ中で教会は教えの基準を模索した。そして、四世紀末になって全キリスト教会は、カルタゴ会議で、最終的に二十七巻のみを新約聖書正典と定めたのである。