時代を見る目 127 アイデンティティを失った男たち(3) リーダーシップ

大嶋重徳
キリスト者学生会 北陸地区主事

 若い男性のリーダーシップについて、よく嘆きの声があがる。KGKの中でも、学内活動のリーダーになるのが女子学生であることが多くなった。リスクを伴うリーダーになることを避ける男子学生の姿が目立つようになってきた。また、大人たちの多くは、彼らが失敗しないようにと、責任を任せることを拒んできた。若い男性たちのリーダーシップを育てようと思ったら、責任を与えることで生まれる失敗を恐れてはならない。

 しかし、重すぎる責任は彼らを潰すことがあることを同時に考えておく必要がある。大切なことは、彼らのかたわらに立ち続け、彼らのしでかす大きな失敗に付き合う存在だ。

 よき男性モデルとは権力的で完全無欠な男性像ではない。若者が犯す失敗にも、「私が責任を持つから」と言い、彼らの存在を喜び、彼らのために時間をかける男性モデルである。そんなモデルに出会えた時、彼らは男性としてのアイデンティティを具体的に学ぶ。自分に与えられた使命と、引き受けなければならない責任とは何かを受け取り始めるのだ。

 父なる神は、人を創造された時も「よき創造だ」と言って、その存在を喜んでくださった。イエス・キリストは、十字架によって、私たち人間の罪の責任を身代わりに負ってくださった。さらに、信仰の成長も遅々としている私たちを、聖霊なる神は時間をかけ、深いうめきをもってとりなし続けてくださっている。

 すべてが機能的であることが求められる時代に、ゆっくりと悩むことを大切にし、責任を共に取ってくださる三位一体の神は、私たちの主体性が育つことを待っていてくださる神である。そればかりではない。三度、キリストを裏切ったペテロにさえ「私の羊を飼いなさい」と、十字架にかかるほど愛された魂への責任を任せてくださるのだ。

 主から与えられた責任を果たしていくプロセスにおいて、聖書的な男性のアイデンティティは育てられていく。教会の中で大切な責任を、彼らに任せよう。そして大胆に失敗し、大胆に主の憐れみにすがることを、教会は時間をかけて彼らに伝えていこう。彼らのリーダーシップはここから作られていく。