時代を見る目 140 子どもがわからない(1) 「むかつく」という気持ち

佐竹真次
山形県立保健医療大学教授 発達心理学

 「むかつく」という若者ことばは、五十代の私にはたいへんわかりにくい。北里大学名誉教授で歴史家である立川昭二氏によると、怒りを表現することばとして、十代ならば「むかつく」、三十、四十代ならば「頭にくる」、六十代以上になると「腹がたつ」を用いるそうだ。「腹がたつ」は、怒りがいったんおなかに入る。そこにたまってむしゃくしゃするのである。「頭にくる」は、怒りがいったん頭までくる。そこでカチンとくる。ところが、「むかつく」は、どんな感じで怒っているのか、自分にはわからないのだそうだ。

 おなかや頭までくれば、留まる時間も長い。そのため、怒りを検討したり相手と口喧嘩をしたりする余裕があった。ところが、「むかつく」は、からだの名称が入っておらず、怒りがおなかにも頭にもこない。からだの前ではじいてしまう。つまり、怒りがからだの中に入る前に「キレて」おり、「瞬間の吐き気」だけで終わってしまう。そのため「キレる」行動様式になりやすいのではないか、と言う。内臓感覚としての情動体験が、状況に適応するための推論と意思決定の基礎になっているというダマシオのソマティック・マーカー仮説を思い起こさせる。

 なぜそのようになってしまったのか。競争社会のスピード化によって自分の情動体験をいちいち味わっている暇がなくなった、過剰な便利さによってフラストレーションを体験する必要性が減少した、テレビゲーム的な仮想現実空間の中で思いどおりに対象を操作することに慣れすぎた、家族が忙しすぎるために互いの気持ちを聴き合って言語化する機会が減少した、などが考えられる。結果として、怒りそのものとその原因と解決法を十分に検討しないままに衝動的に反応してしまう若者を見て、大人は「子どもの気持ちがわからない」と言う。

 対策は二つ考えられる。一つは、大人が時間を惜しまずに子どもの「むかつく」気持ちをよく聴き、ことばとからだでそれを味わう習慣を作ってあげることである。二つ目は、神のことばを聞き、神の判断にゆだねる習慣に導くことである。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(ローマ12:19)。

〈引用文献〉
・立川昭二『からだことば』早川書房、二〇〇〇年
・ダマシオ(田中三彦訳)『生存する脳:心と脳と身体の神秘』講談社、二〇〇〇年