時代を見る目 145 神なき経済社会の中で(3) “教会ブランド”を生む

石戸 光
千葉大学助教授(国際経済論)
日本長老教会 ちはら台教会

 一日の労働のさなかに、神様に「祈る」。これは日本の経済社会に生かされるクリスチャンにとって、大変なことです。私たちは、具体的にどのような経済生活を実践していくべきなのでしょうか。これについての普遍的な公式はなく、また時代や状況によって異なります。そこで感じるのは、二十一世紀の現代経済における「教会を本当のベースとした生活共同体の再構築」の必要性です。「祈りかつ働く」というクリスチャン生活を実践する思いきった方法のひとつは、文字どおり教会をベースとした生活共同体の再構築、つまり「教会」に「就職」することです。そして「教会ブランド」をつくるのです。ブランドといっても、生産される商品・サービスのみを指すのでなく、信仰生活全体をブランドとして打ち出すのです。

 ヨーロッパの靴の高級ブランドには、ずばり“Church’s”(チャーチーズ)というものがあります。同じように、たとえば“ChurchCooperative”(教会生協)、“Church Bank”(教会銀行)、“Church Books”(キリスト教出版社)、“Church School”(文字どおり「教会学校」ですが、聖書以外の教育も行う)など、人の生活全般の営みが「教会」(クリスチャンの集まり)によって活発に展開されることも、主からのミッション(使命)として重要なことと思います。

 「教会」では、さらに国境を越えたネットワークを用いて「祈りかつ働く」ミッションを展開することも可能です。教会は、世界中にその「支店網」を持っています。たとえば、世界の「支店網」から各地域の必要に応じて出資(献金や贈与でなく投資でかまわない)し合い、日本で「教会」ブランドの非営利組織(NPO)を作っていくことは実行可能です。ちなみに、日本政府は外国企業の日本への投資の増加を目標として掲げていますので、外国の教会から日本の教会への投資は国策にもかなっています。

 この教会ブランドのNPOでは、「祈りかつ働く」中から「主の前に効率的な」財・サービスを提供します。「人の前での効率性」ばかりを追う現代経済社会において、このような主の前における「もうひとつの」経済活動の実践もまた、一般の会社組織で日々奮闘する(ダニエルのような)職業生活と同じように、クリスチャンの提示していく意義のある活動と思われるのです。教会を通じた「主にある豊かさ」を実践していくために、人間中心の日本経済の荒波の中から神様中心の「教会ブランド」が、ぜひ生まれてほしいものです。