時代を見る目 175 裁判員制度に臨んで<1>
クリスチャンは裁いてはいけない?

湊信明
日本福音キリスト教会連合・キリスト教朝顔教会員 弁護士

 いよいよ本年5月21日に「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(以下「裁判員法」といいます)が施行され、裁判員制度がスタートします。国民が裁判員に選任されると、裁判手続の際に行われる評議に参加して、有罪か無罪か、有罪の場合にはどれだけの量刑にするかを決定しなければなりません。裁判員制度で扱う事件は殺人、強盗致傷などの重大犯罪に限定されますから、死刑判決の言い渡しに関わることもあり得ます。

 ところで、マタイの福音書7章1節には人を「さばいてはいけません」という御言葉があります。裁判員法第16条第8号は、「やむを得ない事由」がある場合には裁判員となるのを辞退することを認め、この点に関する政令第6号は、「裁判員の職務を行うことにより精神上の重大な不利益が生ずると認められる相当の理由がある」と認められる場合には、裁判員を辞退することができるとされています。今後の運用は未だはっきりしませんが、信仰上の理由により裁判員となることを辞退できる可能性もあり得ます。

 そうすると、聖書に「さばいてはいけません」と書かれていることから、クリスチャンは、裁判員になることも禁止され、裁判員の選任を辞退しなければならないのでしょうか。しかし、主がさばいてはならないと命じているのは、むやみに他人のあら探しをして批判してはならないと教えているのです。刑事裁判というのは、事実を認定して、認定された事実に法を適用して刑を宣言する国家作用をいいますから、他人のあら探しをして批判することとは全く異なります。ですから、刑事裁判に参加することは、聖書が禁ずる「人をさばくこと」には該当しません。むしろ、クリスチャンが、聖書信仰と祈りをもって、加害者及び被害者の一生を左右することになる刑事裁判に携わることは極めて重要なことであると思います。

 もちろん、未だ制度上の不備はありますし、実際に始まると様々な問題が出てくると思います。しかし、制度不備を整える鍵は、国民一人一人にあります。その改善過程にクリスチャンが携わる意義は極めて大きいはずです。私は、読者の皆様が裁判員候補者に選ばれた際には、クリスチャンとして、是非、堂々と裁判員裁判に参加して来て頂きたいと願っています。