福音派による讃美歌集を求めて 新讃美歌集発行を目指し『あたらしい歌』を発行(3)


蔦田直毅 氏

『あたらしい歌』や本歌集への意見を大募集中

― 古い曲と新しい曲の割合など、今後の作業の課題はどこにあるでしょうか。

高橋:『あたらしい歌』で、私たちは諸教会に一つの形を問いました。それに対するレスポンスが今、わずかずつですけれども集まってきています。もっと新しい歌を入れてほしいとか、あの曲とこの曲がないから入れてほしいというレスポンスもあります。これから、讃美歌委員会のテーブルで、それら一つひとつを具体的に吟味して練っていく予定です。目次案や収録希望曲リストは、現時点で一つの結論があるということではなく、問いかけの材料と理解していただきたいと思っています。

井上:やはり讃美歌集編集というのは実践神学なんだという認識があります。いろいろな教会のあり方、福音派のあり方、そしてそこに欠けているもの、あったほうがいいもの、またなくしたら困るもの、いろいろなのを総合的に考えて、この新しい歌集を世に出そうという営みなので、もちろん足りないところもたくさんあるし、押しつけようとは全然思わないんです。

 目次案や収録希望曲リストも出しましたが、それも現場とのコミュニケーションのための一つの過程であって、「皆さんが参加しやすいフィードバックの方法を」という姿勢を表したものです。試用版を発行したりアンケートを採るよりも、最初から目次案や候補曲を提示して、それらについて、いただいた声を編集に生かすやり方のほうが現場寄りではないかという認識でやっています。

蔦田:やはりどの礼拝でも、どの福音派の教会でも使えるということを考えたときには、いろいろな意識を変えていかなければいけないというものがあり、それは「やってやるぞ」ということではなく、こういうことができるんですよとか、今までこういうことがされてこなかったけれども、こんなこともありますよ、という提案ができればいいんじゃないかと思いますね。

井上義 氏

会衆の歌いやすさを大切にメロディーへのこだわり

― メロディーについての選考、見直しの考え方をお聞かせください。

植木:全般的にこれといった音楽的な方向付けがあるわけではないのですが、教会によって多様な状況があるなかで、伝統的な讃美歌であれ、ワーシップソングであれ、基本的にはやはり一緒に歌える歌ということは念頭においています。歌詞を見直し、神学的バランスを整えても、メロディーが歌えなければ、その讃美歌は歌われなくなります。そのあたりが讃美歌の難しいところです。『あたらしい歌』の中で出てきたものにも、まだまだ議論があるでしょうし、たとえば私も音楽的に言うならば、跳躍で始まる曲や、休符で始まる曲が多いかなとか、気にしたらいろいろなことがあります。やはり教会の中で会衆が励まし合いながら一緒に歌っていけるということが重要になります。ある程度の音楽的な幅は出てくると思います。

 将来の五百曲の本歌集は、ある意味、私たちの教会の最大公約数的な内容になるのではないか。あとは現場がそれぞれの賜物で展開してくださればいいんじゃないかと思います。

井上:讃美の多様性という点では、福音派の教会の礼拝神学というものが、わりに多様であるということが関わってきます。プロテスタントの礼拝全体の流れでも、ポール・バスデンは『現代の礼拝スタイル』で五つの礼拝のスタイルがあると指摘し、リタージカル・スタイル、トラディショナル・スタイル、リヴァイヴァリスト・スタイル、プレイズ・アンド・ワーシップ・スタイル、シーカー・サービス・スタイルを挙げています。確かに日本の教会もすごく多様になっていると思うんですね。ほどほどにワーシップ・ソングを入れて、ほどほどにギターを入れたり、ほどほどに司会者がいたり、ソングリーダーがいたりする。

 礼拝神学と言われた場合、従来のように司会者が立って『讃美歌』『聖歌』を用いる礼拝に合わせるのか、小坂忠さんたちがやっているようにソングリーダーが全体をリードするようなスタイルに合わせるのかで選曲も違うし、パイプオルガンを前提にしていいのか、リードオルガンにするか、ピアノにするか、ギターを前提にするのかなど、かなりバラバラなわけですよね。私たちとしては、その中のどれが良いという判断は一切していないつもりです。現実として多様なまま提示することに努めています。