私の子育てこれでいいの!? 第6回 ママ、ひとりでできたよ

グレイ岸ひとみ

 「No(だめ)」・「Mine(私の)」・「Not Fair(ずるい)」─アメリカの子どもが最初に覚えることばだと言われています。日本も同じかしら。わが家の子どもたちも、まんまやねんねのあとは、「舞香の!」「真理がやる!」を連発しました。小さな体で精一杯に自己主張する子どもを見ながら、かわいさあまり笑ってしまうときもあれば、生意気ぶりに腹を立てたり。子どもたちの自立の過程を共にたどりながら、さまざまなことを学ばされます。

 アメリカでは、赤ちゃんは生まれたときから自分の部屋で寝ることが多いので、比較的自立心の芽生えるのが日本の赤ちゃんに比べ、早いかもしれません。でも国境を超えて、小さいときはママに抱かれていることが安心で、ママが少し休みたくても、離れさせてくれないのが自然なこと。長女のれいあもママ以外の人にあずけることが容易ではありませんでした。しかし、れいあのペースで、「ママべったり」から自分の足で立つことを学び続けています。

 れいあの自立の過程は、「ある日突然型」です。恥ずかしがり屋で、ママの後ろに隠れがちな反面、何の予告もなくある日突然自分から断乳したり、海外旅行の出発前日の忙しいときに自らおむつをとったり、うんちだけはおむつでしていたのが、入園式の二日前に突然トイレに座り始めたり。あまり親の指図に頼らず、自分で決めて実行するタイプみたいです。れいあを見ながら、「子どもは自然と自立していくのだ」と思っていました。

 ところが、妹たちはそう簡単には自立してくれません……(汗)。一人はいまだにうんちをトイレでしないし。遊びに夢中で、着替えも一人でしようとしない日が多々。幼稚園のお迎えのとき、二人が下駄箱でぐずぐずしていると、見かねた二歳の男の子が二人の靴を持ってきて、はかせようとお世話してくれる始末。「手をかけすぎるのかしら」、「甘やかしすぎるのかしら」、「もっとちゃんと教えるべきかしら」、「もっと忍耐強く自分でやらせるべきかしら」。親として自信をなくしてしまいます。

 そんな二人から学ばされることは、甘えることの大切さです。一卵性の双子だからなのか、お互いの動きを見ながらママへ甘える時期と離れる時期が交互にやってきます。二学期は真理が甘えん坊でした。「抱っこ、抱っこ」とだだをこねたり、お姉ちゃんに怒られていじけてみたり。舞香はその反対に何事にもやる気満々でした(うんち以外)。しかし、三学期は逆転し、舞香がママにべったりで、真理は反抗的ながら、絶好調。心が外に向いて自立する時期もあれば、ママのもとでお休みするときもある。しっかり甘えて、また離れてみる。同時に甘えられたときは大変ですが。

 不思議な話。実は舞香は三歳のときに、補助なしの自転車に乗れるようになったのでした。しかも一回目の練習で。本人も喜んでいたのですが、それっきり補助を取りたがらず、今も四輪車をガラガラと乗り回しています。技術が先回りしてしまい、心の成長が追いつかない状況なのでしょうか。本心から出る、やる気や意欲を待つことを体験しています。

 私たち親は「できる、できない」の物さしで、子どもの自立や成長を計ってしまいがちです。たしかに、初めて笑ったとき、寝返りをうったとき、歩いたとき、ことばにならないことばを発したとき、おむつが取れたとき、歌を歌ったときなどなど、「できる」ことは成長のしるしですし、子どもの中に自信を育てるものです。しかし、「できる」ことに伴う、精神的な自立を育てるものは何なのか、考えさせられます。

 ある日れいあが言いました。
 「れいあは結婚したくないの。」
 「どうして?」
 「だってママとずっと一緒にいたいから。」
 「いいよ、ずっと一緒だよ」と答えながらも、親として内心ちょっとだけ不安がよぎりましたが……。

 愛すること、受け入れること、甘えさせること、我慢させること、がんばらせること、ほめること、共感すること、励ますこと、一緒に泣くこと、遊ぶこと、笑うこと……。どんどん親から離れていくわが子の心も、人と人とのふれ合いの中で豊かに育まれていきますように。心からの祈りです。そして子どもたちのたましいも、いのちを与え、一人一人の存在を喜び、人生を導いてくださる神様に抱かれ続けてほしいですね。

 「神様は舞香の心の中にいつもいてくれるんだよ。」
 「知ってるよ、だけど、舞香は結婚したくないの。」
 「えっ、どうして?」
 「だって、結婚したら赤ちゃんが出てきちゃうでしょ。そうしたら、神様も出てきちゃうの!」

 親の思いはなかなか理解されません。わが家の娘たち、ちゃんと自立してくれるかしら。