結婚ってすばらしいものですか? よいモデルを
よい将来設計を(前編)

石井希尚
『愚かな女は騒がしい。賢い男は珍しい』著者。
1965年生まれ。
コミティッド・ジャパン牧師、カウンセラー、ミュージシャン、フリースクール校長。
著書に『この人と結婚してもいいの?」(新潮文庫)、『「彼とはもうダメ!」とあきらめる前に』(主婦と生活社)などがある。
URL http://www.marr.jp

結婚生活の醍醐味はなんだとお考えですか。

一人よりも二人の方がいいというのは、まずは単純に、できる領域が倍増するから。仕事でも趣味でも、 二人が合わさることによってそこにまったく違うキャラクターが加味される。魅力も増える。 結婚が嫌だという人は、二人になると、一人の力よりも半減してしまうという悪い面を見てしまう人が多いからだと思うんだよね。
もう一つは、二人が一つになっていくプロセスで絶対に妥協を学ぶし、受容を学ぶし、拡がるという点ではキャパシティが拡がる。人間としての成熟に向かえる。でもこれも多くの人はネガティブな面を見るわけ。嫌なところは嫌なんだ、と。それは成長を拒否するってことになる。嫌なことを越えないと成長ってないでしょ、人間って。
結婚生活の醍醐味は、大きく分けると、拡がりと成長だね。

なぜ多くの人が、結婚の醍醐味を見ないで、嫌なところにばかり目がいってしまうのでしょう。

一番大きいのは、よいモデルが少なく、圧倒的に悪いモデルが多いからだと思いますよ。

マレさん自身も、ご両親が離婚されていて結婚に対してマイナスイメージを持っていたと書籍に書かれていましたが。

残念ながら二十歳でクリスチャンになった後でも、僕の人生では、周りにクリスチャンの中でもよいモデルがいなかったんです。
クリスチャンになる前はもっといなかった。うちの両親も離婚、おじさんも離婚、僕の親友は母子家庭で、お母さんの愛人が家にいる環境で育っていた。思春期のころに、周りにいい家庭ってなかったんですよね。だから、結婚なんてしなくてもいいと思ってたんですよ。

「結婚したくない」と考えていたのですか。

結婚したくないというより、思春期のころは結婚ということを具体的に考えていなかった。
中学生のころに、僕がクリスチャンになるきっかけになる女の子がいて、二十二歳の時に死んでしまったんだけど、彼女とつきあっていたときは、絶対結婚したいって思っていたけどね。でもそれは具体的に結婚を考えていたわけじゃなくて、ただそう思っていたっていうだけ。
たとえば、二十五、六になって周りが結婚するようになってから、結婚について話題が具体的にでてくるでしょ。その時に初めて、結婚について、真剣に男は考えると思うんですよ。僕の場合二十歳でクリスチャンになって、しばらくして結婚のよいモデルに会ったけれども、もし出会ってなければ、結婚については、まあ何にも考えてなかっただろうね。

アメリカで、結婚についてイメージを変えられたのですよね。

僕は、クリスチャンになって、アメリカに行き、カルバリー・チャペルで牧師夫婦というよい模範を見た。カルバリー・チャペルに行って始めて結婚っていうのはかっこいいことだなと思ったんだ。
それまではクリスチャンでも、レコード会社に所属して、マレという名前でアーティスト活動をやってたでしょ。結婚は、僕のキャリアの妨げになると思っていた。周りの人がそういう風に言ったから。今、結婚されたら困るって。今はまったく逆だけどね、本当に結婚したい相手がいるなら早く結婚しろよって言ってる。

マレさんは、牧師でありミュージシャンでもある。そして、恋愛・結婚カウンセラーという肩書きもありますよね。どういう経緯で結婚についての洞察を深めていかれたのですか?

これは、僕が意図したことじゃないんだよね。自分で結婚カウンセラーになろうと思ってなかった。主が僕をこういう立場に置いたとしか思えない。ずっとミュージシャンで、僕はCDが売れてほしかった。本を書くとは思ってもいなかったし。ミュージシャン、マレの自伝とかならかっこいいけど、処女作は『この人と結婚してもいいの?』。僕のイメージじゃなかったよね。