翻訳者の書斎から 12 香油の壺を割るとき

吉川 直美
編集者・翻訳者。他訳書に『すこやかに祈る』、共訳書に『キリストの心で』(ともに いのちのことば社刊)などがある。シオンの群 中野キリスト教会 会員。

 ほんの数年前まで、私は信仰書はおろか、聖書にも無縁な生活を送っていました。気まぐれにCLCや教文館をひやかしてはみたものの、異国の書店に紛れ込んだような違和感にしおしおと退散したことを懐かしく思い出します。

 主に名前を呼ばれ、闇から救い出されてからは、主を知りたい一心で足繁くキリスト教書店に通いました。異国の書店がにわかに宝の山となりました。新鮮な驚き、純粋な好奇心、甘美な没頭──はからずも、読書の喜びに目覚めた子供時代に戻ったようでした。とはいえ、あくまでも読者としての関わりしか考えておりませんでした。編集の仕事に携わってはきましたが、おいそれとキリスト教書籍の世界で生かせるとも思えず、ましてや翻訳に携わることになろうとは、夢にも思っていませんでした。むしろ、もっと直に主と人に仕えることを思い描き、別の世界への導きを求めて悶々としていました。

 マリヤが、高価なナルドの香油壺を割って主のからだに注ぎ尽くした件を読むと、どのように主に仕えたらよいのかわからずに、ちっぽけな香油の壺を持ってうろうろしている自分の姿が思い浮かびました。身にあまりある主の愛に応えるために、何をしたらいいのだろう。どうやって仕えたらいいのだろう。いつどこで、香油の壺を割ればいいのだろう。そもそも、私のちっぽけな壺に香油は入っているのだろうか──。

 そんな折り、お茶の水聖書学院で教鞭を執っていらした藤本満先生から、「翻訳したい本があるのだが、協力してもらえないだろうか」と声をかけられました。キンロー先生は、すぐれた説教者でありながら、説教集がようやく一冊刊行されたところなので、ぜひ翻訳したい。ついては読みやすい日本語に思いきって書き換えてもらえないだろうか──というのが藤本先生のご依頼でした。一生徒に過ぎなかった私にはあまりに思いがけず、翻訳の経験もまったくありませんでしたので腰を抜かすほど驚きましたが、不思議とお断りするという選択肢はありませんでした。私がどんなに小さな者であれ、主が与えられたことならば、主が全うさせてくださる──という安心感がありました。

 手放しで主に助けを請うほかなかったことが、何よりの恵みとなりました。ああ、もっと主のやさしさが伝わる表現はないものか、キンロー先生が心を砕いて説いていらっしゃる「キリストの心」を、どうやって日本語に置き換えようか──と、ない知恵を絞っていると、ふつふつとことばが湧いて来ることがありました。主が共にいてくださることを感じるたとえようもなく幸いな時でした。また、身の程知らずの書き換えに、いつも快く応じてくださった藤本先生の奥深い謙虚さに、主の姿を垣間見ました。最後の最後に至って、父の臨終と締め切りが重なった時も、主はものの見事に両方を祝福してくださいました。

 一方で、キンロー先生の温かくも厳粛なメッセージに心のうちが探られ、パソコンの前に座ったまま顔を覆ってしまう夜もありました。隠れた傷が明るみに出され、キリストの心で生きることのできない、自らの卑しさを容赦なく突きつけられました。が、深い闇の底で、主の愛と聖さはますます光りを放ち、喜びと希望に溢れて再び主を仰ぎ見ることが許されるのでした。こうして、翻訳作業は著者に同行するたましいの道行きとなりました。

 もちろんその道行きには読者が伴わなければ、ただの自己満足に終わってしまいます。著者の導きを解釈しそこねて、誤った方向に案内してしまわないように、自分の思いで先走らないように、日本語がまずくて途中でうんざりさせてしまわないように、と祈りつつ歩みを進めました。そのためには、わずかばかりの香油を絞り出すようにして、絶えず、今がただ一度の香油の壺の割り時、という思いで臨むしかありませんでした。そして主は、取るに足りない者の小さな思慕も蔑まず、まっすぐに受け止めてくださる御方でした。私はたましいに深い平安を与えられました。

 見当違いなところにかけてしまったり、小出しにしてみたり、いざ開けてみたら空っぽだったりと、聖徒にはほど遠い愚かな者であっても、主のまっすぐなあわれみに満ちたまなざしがあればこそ、何度でも主の御前に進み出ることができるのです。

 ようやく拙い仕事を終えた時、何よりも私の心を満たしたのは、香油を絶やさず与えてくださったのも主に他ならない──という真実でした。