苦しみには意味がある 苦しみには意味がある

碓井真史氏

「書いてて迷うんですよね。これはだれにあてて書いている文章なんだって。まずいちばんは、死にたいと思っている人ですけど、そういう人は、こういう本を手に取らないよね、ってわかっていて……。一般論を書くのは得意なんですけど、私からあなたへのメッセージ。書けなくなっちゃいました。安易な楽観主義、慰めのことばも出せないし……止まってしまった」碓井氏は、そう振り返る。これまで何冊かの本を書いてきたが、データや事実、理論ではなく、自分の思いをつづるのは初めての経験だった。
「とても素朴に言えば、『みんな生きようよ、そんな死ぬなんて言わないでさー』ということなんですけどね。生きていればいいことあるよ、って言いたい。でも、それをそのままことばにしてもまったく通じないんだってことを痛感してきました。まさに今、そのことばを必要としている人にそう言っても、むしろ逆に届かない。そんなことを色々考えて……、迷いながら、そのときそのときに感じたこと、本心を書きました。さんざん苦しんで、後先も考えず、どんどこ出しました。あとから読むととても恥ずかしい」

でも、と彼は言う。

でも、そういう裸のことばじゃないと届かない、大学の教壇から、安全な場所から語ってもそれは伝わらない。思いを伝えるためには、悩み、苦しむことが必要なんじゃないか、と。

「他人のいのちについて語るのは、自分のいのちについて考えることだなと思いましたね。死にたい人に『死ぬな』って言うのは正しいことだろうけど、死んだら悲しい、という素朴な思いが伝わるためには、こっちも一緒に苦しむ必要があるのかな。苦しむことには意味があります。知識や技術ではない。『もう死にたい』『自殺したい』と言っている人と接して、私がもがき苦しんで、泣いたり、笑ったりした中から出てきたものを自殺予防の働きをしている人にも読んでもらいたかった」自殺関連の本で「この本いいから読んで」と言えるものがあまりないと感じていたこともある。「これは、いろんな意味で悩み苦しんでいる人に、安心して勧められる本かな。いのちの大切さとか、愛とか神さまという土台に立ちつつ、でもそれを押しつけずに、心理学の基盤で語る。全部が役に立つとは思っていません。あーなるほど、そうだねって思ってもらえるところがどこか一つでも、二つでもあればいい」

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碓井氏が自殺予防に関わるようになったのは数十年前のこと。芸能人の自殺をきっかけに、彼は自殺予防に関する情報を掲示板に張り出した。そのとき、自殺ということばを公の場に出すなというクレームがきたのだという。自殺ということば自体が禁忌だったのはそう遠い昔ではない。

「だから、自分のホームページに載せたんです。そしたら反応があったんですよね。最初から立派な使命感をもっていたわけじゃなかったんです。でも、実名で掲示板を運営して、自殺したいという気持ちを受け止めるサイトが意外となかったので、存在意義はあるかなと……」

目の前に川に飛び込もうとする人を見つけたら、世の中で最も心の冷たい人でさえ、止めると思うんです、と碓井氏はゆっくりと語る。自殺に関わるようになったのはたまたまだったかもしれないが、「きっと、素朴なことだったんでしょうね」深い深い苦しみの中にいる人を助けるために、近づいていくには、正しいことばを語るのではなく、「死にたい」という気持ちを受け入れて仲良くなることだという。

「サイトでは、生の声が出てくるのでとてもよい交流が持てるんです。でも、そのときそのときの生の感情が伝わっていくから、確固とした価値観がないと流されてしまう。それは、とても危険です」

だからこそ、聖書、神さまという土台と心理学という客観性をしっかり持っていることが大切だった。

「神さまはあなたを愛している、生きていればいいことがあるよ、なんていう台詞は、彼らには通じません。でも、どうにかしてほしいから彼らは話すんです。だから、どうすればいいかわからないけれど、一歩ずつ近づいてみよう。一緒に孤独を味わっていこう。そうすると、そういう人が近づいてくるんです」

手を抜くことなどできないいのちに関わるその働きに、「自分がなんとか全部やらなければ」と苦しんだ時期もあったという。夜中まで相談者へメールの返事を書き、講演に招かれる多忙な日々。家族との生活も犠牲になっていく……。だがあるとき、「私は私のできることをやればいいのかなって。あとは神さまの領域、神さまに任せるということがわかったんです。わかっているつもりだったけど、実体験が伴っていなかった」

心理学に携わっていると、「私の心はわかりますか?」とよく聞かれるそうだ。だが、「私は人の心は全くわかりません。全然わからない。だから、話をしっかり聞くんです」

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今年、五十歳になったという碓井氏は、「最近、人のために何かがんばったり、人をほめたりするようになりました。いったん始めるとできるんですよね。受けるより与えるほうが幸いなんだ、本当にいのちってそうなんだって」。だれか私を愛して、と求める孤独な現代社会。だが、与えること、だれかを助けることが、自分の「いのち輝かす」ことになるというのだ。

「どういのちを使っていくのか。これまで守られて生きてきたけど、今度はほめたり、なぐさめたり、だれかのために心をつかって生きていきたいと思っています。それって本当に心地いいことなんです。重いドアを次の人のために持っててあげる、そんなことでいい。行動していく中で、いのち輝いてきて、勇気も優しさもわいてくるんです」

そして、この本を執筆する中で感じたことをぜひ多くの人に伝えたいと、現在講演会の開催を考えている。「神さまの愛とか、がんばって生きることを伝えることは次の段階なのかな。まずは、死にたい思いを聞くこと。両親や牧師への恨みを聞くこと。目の前の困っている人のための使命感を感じているんです」

丁寧に、素直なことばで語ってくれた碓井氏。最後に、生きていて、生まれてきてよかったと思うかを尋ねた。「今、思います。そう思える瞬間瞬間、その連続なんじゃないかな。今、自分は生きてるよ。だからOK」

Usui Mafumi Profile
碓井真史

1959年、東京都生まれ。心理学博士。新潟清陵大学大学院教授、文部科学省スクールカウンセラー。主宰するHP「こころの散歩道」は総アクセス数3000万を超える。著書に『誰でもいいから殺したかった! 追いつめられた青少年の心理』(KKベストセラーズ)、『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』(主婦の友社)ほか。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/

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