特集 今、憲法を読む

憲法改正が現実問題として取りざたされるなか、『憲法に「愛」を読む』が出版された。二人の牧師に聞く、キリスト者が憲法を学ぶ意義とは。

■「本物を知る」こと
日本キリスト教団 勝田教会 牧師 鈴木 光

本書を読み始めて、ふと自分の高校時代の出来事を思い出しました。もう二十年前になってしまいますが、当時の私はごく一般的な都立高校に通っていました。一般的とはいえ、不思議と個性的な先生や同級生たちに恵まれ、楽しい時間を過ごしていたと思います。
社会科の先生も情熱のある面白い先生で、生徒たちと交流を図るべく、順に先生と生徒の間を行き来する交換ノートを回してくれました。やがて私の順番が回ってきて、書くことを思いつかなかった私は、なぜか憲法前文を丸々ノートに書き写して先生に渡しました。何かちょっと変わったことがしたくて、同時に社会の先生に興味がありそうなことと考えて、そうしたのだと思います。
先生は次の授業でそれを紹介してくれました。そして「高校生が憲法に興味を持つことは本当に素晴らしいことだ」とほめてくれました。一方で、同級生は「すげえ、ギン(当時のあだ名です)が難しいこと書いているぞ、ざわざわ」となっていました。私はといえば、少し照れくさく、うれしくもあり、そしらぬふりをして窓の外を見ました。
あれが、私が憲法に興味を持ったきっかけだったと思います。交換ノートに書いて、ほめられてしまった以上、何も知らないと恥ずかしいので、調べるというほどではないですが、大体の内容は少しずつ吸収していきました。
時は流れ、神学校で学んでいた二〇〇四年の夏ごろから、当時の二大政党が憲法改正に向けて方針を出し始めました。特に私が関心のあった九条の扱いについては、両政党とも平和主義を捨てようとしていました。中でも自民党案を見たときは、率直に言って「狂気の沙汰」だと思いました。平和主義どころか、戦前の軍事国家に戻ったかと錯覚するような内容だったからです。ところが、意外にも、世の中ではその時期、憲法のことはほとんど話題に上りませんでした。

ここ数年で、憲法改正に燃える安倍首相になったからでしょう、ようやく本当に話題の「一つ」になってきたというのが現状だと感じます。考えてみれば、自分自身も、高校生の時代から興味を持ったからこそ、「狂気の沙汰」だと感じることができたのだと思います。そうでなければ、やはり話題にもしていなかったかもしれない……。(「狂気の沙汰」という表現は、本書で紹介されている、憲法起草に携わった当時の総理大臣の言葉です)
私が今、一番恐れているのは、経済や社会保障の議論の陰で、こっそりと正気と狂気が入れ替わってしまうことです。もっといえば、私たち日本の国民が、それが正気か狂気かも判断できないまま憲法を変えてしまうことです。もしそうなってしまうとするならば、その責任は、知ろうとせず、判断せず、ただ政治家を選んでいる私たち自身にあると、私は思っています。
そうならないためには、どうしたらよいのでしょうか。本書はまず「本物を知る」こと、すなわち日本国憲法そのものを知ることが大切だと勧めています。
「憲法は、陶器師たちが土を練るように、全身でこねて叩いて、思いを込めて作られました。戦争への反省を練りこみ、人類の叡智という釉薬を選んで。……いつの間にか埃をかぶったままガラスケースの奥にしまわれてしまった。……今、降り積もった埃と塵をよく払って、本来の輝きを一人ひとり、曇りのない目でじっくり見たいと思います。」(一二八頁)
著者が「はじめに」で述べておられるように、本書は憲法と聖書の関係を解説する内容ではありません。「日ごろ聖書に親しんでいるみなさんに、憲法を『感じて』もらいたくて書きました」(六頁)とあるように、エッセー風に憲法を知る喜びを紹介しています。
とはいえ、単に軽い読み物ではなく、現在の議論の中でも重要なポイントについて、一つ一つ丁寧に光を当てながら書かれています(立憲主義の基本、人権、平和主義など)。ちなみに、私が個人的に最も印象に残ったのは、著者本人の強烈な体験から考えた「自衛」と「平和主義」についての、気迫のこもった語りでした。
若い人たちにも読んでもらいたいと願います。私が高校生だったのは二十年前ですから参考にはならないかもしれませんが、少なくともそのときの同級生たちは、憲法を「難しそうだ」と感じていました。でも、今を生きる皆さんはきっと薄々感じているのではないでしょうか。何か大変なことが起こりそうだと。「難しそう」で済ませては本当に大変な時です。本書は「憲法をよく知らずにいた者が、その中にある光を発見していく喜びを分かち合いたい」(六頁)と願って書かれていますから、その難しそうなものに触れてみるには最適な一歩になるでしょう。
本書の中で、著者が「憲法カフェ」という集まりで、憲法に触れた経験が分かち合われています。今の世の流れの中で、何かしてみたいけれど、どうしようという方は、皆さんでご一緒に本書を読み合わせてみるのもよいでしょう。教会での「憲法カフェ」というのも悪くないと思います。

■共に生きる社会を目指す「愛」

日本長老教会 西武柳沢キリスト教会 牧師 星出卓也

一〇三条もある日本国憲法。そこには沢山の思想や理念が凝縮されていながらも、そのエッセンスをギューッと絞って、絞って、それをたった一文字で現すとすれば、何になる? この本のタイトルのとおり、その答えは「愛」であると思います。同書はこの日本国憲法のエッセンスを、平易なことばで、洞察深く追い求めています。

「立憲主義」の本質は、要は、多数決においても弱い立場にある少数者が排斥されないように、多数者の強い立場に制限をかけるということ。人間は権力や力を持つと、より大きな力を持ちたいと願い、弱い立場にあるマイノリティーを顧みることができなくなる。この人間の性質を謙虚に受け止めて、権力の行使に超えてはならない限界を定め、守るべきルールを定める。これらすべては、共に生きる社会を目指す「愛」の一言に尽きるのです。
同書を読んで、日本の中の教会やクリスチャンが、一%に満たないマイノリティーであることに、大切な意味がある、と思いました。町・村・家という社会の中で、信仰が理解されないつらさを味わい、信仰を守るための困難を抱える。だからこそ同じ多数者の中に押しつぶされがちな少数者の痛みを共感できるようになり、一人の神のかたちに創造された尊厳は社会全体の都合や利益によっても優先されないものであることを、体験を通して知る。これらは少数者でなければ気づかないこと。

ここに教会が主の愛に生きるための大切な御心があることを思うのです。制度として憲法を守る、だけでなく、「すべてを尽くして神である主を愛する」「隣人を自分自身のように愛する」「律法と預言者のすべてがこの二つの戒めにかかっている」と語られた御心に生きる。
だから聖書の信仰に生きることと、日本国憲法が目指す理念は共鳴するのだなあ、と実感しました。逆に、「公益及び公の秩序」が「個人の権利」に優先する、という新たに目指そうとしている社会の恐ろしさを実感しました。