しあわせな看取り 果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第16回 寿命

手術や抗がん剤治療でがんと闘ってこられたNさんは七十歳代の女性です。
四年前に主治医から「Nさん、抗がん剤はこの辺でやめて、体力のある今のうちに自宅で過ごしなさい。今ならまだまだやりたいことができます」と言われ、治療をやめて、退院してこられました。とはいえ家族には「余命三か月程度」とおっしゃったとか。Nさんはそれをご存じでした。
身の回りのことは、人の手を借りずに何でも自分でやりたいNさんですが、ケアマネージャーの強い勧めで退院と同時に訪問看護が始まりました。

Nさんは「余命三か月らしいけど、孫の小学校入学は見届けたいの」とおっしゃいました。「人は病気で死ぬのではない、寿命が来て死ぬのよ。だから与えられた一日一日を大切に過ごすだけ」ともおっしゃり、この方の成熟した人格に尊敬の念を覚えたものです。彼女の願いは叶えられ、それどころか二番目のお孫さんの入学も祝い、来年は三番目のお孫さんの入学もお祝いできそうに思えるほどでした。おばあちゃんが大好きなかわいいお孫さんたちが彼女の元気の素でした。時には体調を崩し、自宅で数日点滴をしたりすることもありましたが、お元気で自宅での生活を続けていました。

訪問看護の中では、いろいろなことを語ってくださいました。彼女の生きてきた人生、女手一つで子どもたちを育て学校にやり、働きに働いてきたこと、樺太で育った子ども時代の話、家族のこと、友人のこと、旅の話、お料理の話……と話題は尽きません。レストハウスで開かれたコンサートや屋外でのオペラコンサートにも来てくださり、春にはニッカウヰスキー工場の見える余市川のほとりの桜並木を一緒に歩きました。本当に楽しい時間を過ごしました。

ある日の夕方、「胸が苦しい」と連絡が入り、緊急訪問をしました。これはがんではなく、心臓の問題のようです。すぐに主治医に連絡して近所の病院に救急搬送しました。救急車を迎えた当直医は、彼女の「末期がん」という病名に、心筋梗塞の救命処置をすべきかどうかちょっと戸惑いました。でも退院してすでに三年以上お元気で生活されてきたこと、お孫さんの入学を楽しみにしておられることなどを伝えると、循環器の専門医のいる小樽の病院へ搬送する手はずを取ってくださいました。小樽の病院に入院し、処置を受けたNさんは、驚くべき回復力で、二週間程度の入院で退院して来られました。

Nさんは、また、何があっても大丈夫なようにきちんと旅支度をして生活されていました。緊急入院のときは、押し入れの中の旅行かばんに入院セットが準備されていました。一度、彼女の旅支度の様子を見せてもらったことがありましたが、和だんすの中の着物にはすべて形見分けする人の名前がつけてあります。お嫁さん、孫娘、義妹さんなどです。生活用品もほとんど人にあげて、最低限度の物でとてもシンプルに生活しておられました。
介護サービスで週に一回ヘルパーが来て掃除をしますが、きれい好きなNさんのこと、ヘルパーは掃除もほどほどに、お茶をいただいておしゃべりに花を咲かせて帰るようでした。
一人でだれとも話をしない日もあり、ヘルパーや看護師の訪問は、一人暮らしに活気をもたらしてくれるとおっしゃっていました。Nさんの担当ヘルパーは、以前に私たちが訪問してご自宅で看取った方の娘さんです。そういうわけで、Nさんと、ヘルパーと私は特別の思いと絆で結ばれていました。Nさんの最後をどこで過ごすのかということもたびたび話題に出ました。Nさんはレストハウスに入りたいともおっしゃいましたが、息子さん一家が行き来するには遠すぎるため、「やはり札幌の病院かな? でもぎりぎりまでここでいさせてね」という結論でした。

その後、衰弱が進み、Nさんは息子さん宅に近い病院の緩和ケア病棟に入りました。先日、そこで穏やかに最期を迎えられたと息子さんから連絡がありました。孫たちの運動会に行って成長を喜び、亡くなる前日にはお刺身も食べ、息子さんご夫婦、かわいい孫たち全員の見守る中で静かに息を引き取られたとのことでした。精いっぱい生き、寿命を全うされた大好きなおばあちゃんの最期をお孫さんたちはどんなふうに見たことでしょう。