特集 魂を鍛えるエクササイズ 交わりの中で『エクササイズ―生活の中で神を知る』を学ぶ

『エクササイズ―生活のなかで神を知る』

ジェームズ・ブライアン・スミス 著、
松本雅弘 訳
四六判 382頁 定価2,200円+税

 

カンバーランド長老教会 高座教会 牧師 松本雅弘

私ども高座教会では、昨年四月から本書、『エクササイズ―生活の中で神を知る』をテキストに学び会を始めました。本書の中で著者ジェームズ・ブライアン・スミスは私たちがキリストに似た者へと変えられていくプロセスで、聖霊は三つのことをお用いになると教えています(三〇頁参照)。その三つとは、①イエスの物語を受け入れる、②霊的訓練を目的とするエクササイズに取り組む、③交わりに参加する、です。

高座教会では、聖霊がお用いになるこの三つの手段を生かすため、学び会への参加希望者を募った後、リーダーを含む四名から五名程度の小グループを編成しました。参加者はテキストを毎月一章ずつ読み、その章の「魂を鍛えるエクササイズ」に取り組み、さらに各章の終わりに出てくる「振り返るために」の質問をもとに自らの歩みを振り返り、その月のエクササイズの取り組みを通して感じ、経験したことをノートに記入します。そうした作業をしたうえで、月一回ごと教会で行われる学び会に集まってくるようにしました。
毎月の集会は、第三火曜日の午前九時半からのコースと、第三土曜日の十三時半からのコースの二つを用意しました。どちらのコースもまず最初に全員で集い、賛美と祈りの後、およそ三十分かけて、私のほうから、ところどころテキストを開きながら、その月に読んでくることになっている章の内容を要約してお話しします。その後、各小グループに分かれ、約一時間、「振り返るために」の設問を中心に分かち合いのときを持つようにしました。その後、各小グループのリーダーに集まってもらい、学びの内容や進め方についてのフィードバックや今後に向けての意見交換をして、翌月の集会に備えるようにしています。
さて、本書を学び終えた参加者の声が届いていますので、一部ご紹介したいと思います。

○毎月の学び会が私にとって有益であると感じています。(テキストは)私のために書かれた文章のように感じられ、本当に感謝です。グループ内での分かち合いが素晴らしいと思います。全く違ったタイプの人たちの集まりなので、それぞれの発言に新鮮さを感じます。課題のエクササイズは、日々の生活に密接にかかわっていることが多く、物の見方や生き方に影響を与えてくれます。私は毎日を丁寧に暮らすようになりました。
○グループの方々との交わりを通して、主にあることの大切さを学ばされました。生活の中でふと立ち止まり、振り返ることが前以上にできました。ゆっくりでいい、ゆっくりがいい、
……生活の中に余白が大切であることを知りました。
〇今まで神さまと結びつけていなかった「睡眠」「生活の中の余白」「生活のペースを落とす」といった内容を通して、新たな神さまに対する視点と気づきが与えられ、とてもよかったと思いました。信仰と生活が一致することを感じました。
〇新鮮な思いと、改めて見直して知る恵みに喜びを得ました。特に、自分にとって必要と思ったことがたくさんあります。継続して静まり祈ること、忙しさに追われる予定の管理と調整、イラだつ性急さの見つめ直し等々、主がかけがえのないものとして、愛して導いてくださることを確信し、恵みを数えて感謝しています。分級のグループは、今まで交わる時がなかった方々でしたが、その中でお一人お一人の賜物と人となりを知ることができ、これからの歩みも主にある友として祈り合うことができることを喜んでいます。
〇「レクチオ・ディヴィナ(デボーションのときの聖書の読み方)」のやり方を知り、(聖書の)短いセンテンスから毎晩恵みにあずかり、平安のうちに祈り、眠りにつくことができるようになりました。「眠る」「自然を感じる」など、今まで気づくことがなかったことに気づき、神さまの恵みは隅々まで行き届いており無駄のないことを知ることができました。分級ではお互いの恵みを語り合うことで、自分とは違った恵みの大きさを知ることができました。同じテキストを一か月読むことを通して連帯感のようなものを感じることができました。
〇毎回、テキストを学ぶたびに、神観を修正させられてとてもよい学びとなりました。また時間の使い方を考えるようになりました。

ところで、『エクササイズ―生活の中で神を知る』はもともと三巻で完結する霊的形成を目的として書かれたテキストです。その一巻目が本書ですが、第二巻は、『すばらしく美しい生活(The Good and Beautiful Life)』(来年三月出版予定)、そして最終巻は、『すばらしく美しい共同体(The Good and Beautiful Community)』です。題名だけ見てもその人の神観の変化が信仰生活、そして共同体(教会)へと波及する意図がうかがえます。昨年、高座教会では第一巻を用いて学びを開始し、今年度は昨年参加できなかった方たちのために第一巻を学ぶコースと共に、第一巻修了者向けに第二巻の学びのコースを始めました。来年は第三巻の学びのコースを開講する予定です。

よく神について知ることと神を知ることの間には大きなギャップがあるといわれます。それは教会員の霊的成長のために仕える牧師にとってジレンマであり、また一キリスト者としての私自身のジレンマでもあります。聖書を学び、信仰書や神学の本をたくさん読むことで神に関する知識を蓄えることは可能でしょう。でも神についてたくさん知っていても、その人が神に喜ばれる人に変えられているか、キリストに似たその人になっているかどうかは全く別問題です。
ある人がこうした神について知ることと神を知ることの違いについて、りんごを例に次のように説明していました。りんごについて知っている人とはりんごがどこで栽培され、一本の木に幾つの実がなり、どんな種類があるのかなどを知っている人であり、りんごを知っている人とはリンゴがどれほど美味しいのかを味わい知っている人だ、と。このことについてデ・メロ神父も著書、『小鳥の歌』の中で、「本当に知ることは、知っていることによって人間が変わることです」と語っています。
私自身も交わりの中でこの『エクササイズ―生活の中で神を知る』を学び、取り組むことで、デ・メロが語る「本当に知ること」の恵みにあずかりたいと願っています。