しあわせな看取り 果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第17回 ホスピスの選択

岸本みくに

Dさんは、一年前からS字結腸の狭窄が認められていましたが、イレウス(腸閉塞)になり、人工肛門を造設し、自宅に戻ってこられた八十一歳の女性です。早くに夫に先立たれ、娘さんたちを育て上げて嫁がせた後、三十年一人で生活してこられました。娘さんたちは札幌と千歳在住です。一~二時間かけて交代で介護に通ってこられますが、病状が悪化すればこれ以上のサポートは距離的に難しく、入院しかないと思われる状況でした。

Dさんは手術を受けた地元の病院に通院してはいましたが、痛みのコントロールが十分ではありません。現在の病院でどこまで緩和ケアができ、QOL(命・生活の質)が維持できるのか、私には不安でした。
ある日、Dさんの人工肛門が詰まってしまい、検査のため娘さんと一緒に病院まで同行しました。検査に入ったDさんを待つ間、待合室で娘さんと二人きりで話ができました。彼女は、友人の母親が函館のホスピスでとてもよいケアを受けたことを聞いていて、Dさんもホスピスに入れたいと思っていることを話してくださいました。自分でもインターネットで調べたが、病名告知が条件であると書いてあり、これでは難しいと諦めていたそうです。

癌になった方のことを話し、「もし母さんがそういう病気になったとしたら告知してほしいかい?」と聞いてみたところ、「母さんは知りたくないわ、知らないで死んだほうがいいでしょ」と即答したそうです。「私は教えてほしいと家族に言ってあるんだよ」と言いますと、「そんなこと知ったら、生きる気力がなくなるでしょ」と答えたそうです。それを確認した以上、ホスピスに入れるために告知をして、慣れない札幌の病院に連れていくのが果たして最良の選択といえるのか、どうすればいいのか、とそこで完全に立ち止まってしまったと話されました。

私は、明確な病名告知をしなくても、「今の苦しい症状を緩和してくれる専門の病院が娘さんたちの家の近くにあるから行ってみませんか?」と聞いてみることを提案しました。そして主治医にもそのことを相談したところ、話はトントン拍子に進み、その場で情報提供書を書いてくださいました。そして長女の方と私はすぐに札幌のホスピスを持つ病院にアポイントを取り、相談に行きました。

ホスピスの医師は情報提供書の内容を見て、急いで入院したほうがいい、すぐにベッドを用意します、とのことでした。次の問題はだれがどうご本人を説得するかです。転院とかホスピスとか、それが分かっただけで自分の病状を知ってしまうのではないかと恐れた娘さんたちは、私にその役割を引き受けてほしいとおっしゃるのです。
私は次の訪問のとき、慎重にこのことを伝えました。Dさんは、黙って私の話を聞き、「どうして?」とも言わず、ただ「はい、分かりました」と穏やかに答えました。娘さんたちも私も、あまりの単純さにちょっと拍子抜けでした。でも、みんなが考えて出してくれた結論だから安心して従います、という信頼がその表情から読み取れました。
ホスピスに入院されたDさんは、苦しい症状をコントロールし、寄り添ってくれる医師や看護師たちのケアに満足し、頻繁に会いに来るご家族とも楽しい時間を過ごされ、娘さん、お孫さんたちの見守るなか、二か月後に穏やかに亡くなられました。

後日、娘さんから、入院中に主治医から病名告知を受けたことをお聞きしました。入院を決めたときとまったく同じような態度で、「はい」とあっさり受け止めたそうです。そして全く落ち込む様子もなく、毎日を楽しそうに過ごされたとのことでした。娘さんは「うちの母さん、どっかねじが抜けてるのかしらね?」と笑っていましたが、案外すべてを分かっていたうえでDさんは、彼女を取り巻くケアチーム(ご家族も含めて)に一切をゆだね、安心しておられたのではないかと私には思えます。入院中に娘さんに「母さんは幸せだよ」と何度かおっしゃったそうです。ホスピスをお勧めして本当によかったと思いました。