『歎異抄』と福音 第四回 阿弥陀仏を非神話化する

大和昌平
いよいよ『歎異抄』第一章の本文に入っていく。冒頭のひと言には親鸞が繰り返し語ったことが凝縮されている。今回は、まずその出だしの部分だけを扱いたい。

◇「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて」(第一章)|阿弥陀仏の思いもよらない誓願に助けていただいて
そもそも阿弥陀仏とは誰なのか。キリスト教の側からはそこから始めなければならない。仏教とは仏の教えであり、仏は原語のサンスクリットではブッダといい、目覚めた人を意味する称号だ。インド・ヨーロピアン語族であるサンスクリットは、ギリシア語に近似した文法を持っている。目覚めるという動詞ブドゥの過去分詞形がブッダであり、それが目覚めた人という名詞になる。ブッダは覚者という称号になり、中国で仏と訳される。
ゴータマ・シッダールタは紀元前五・六世紀のインドに八十年間生きた実在の人物だ。三十五歳の時に菩提樹の下で彼が達したという覚りが、仏教の原点である。そして、最初は彼だけがブッダと呼ばれる。ブッダ(覚者)であるゴータマとして、ゴータマ・ブッダと今日も呼ばれる。
ゴータマの死後、あのような覚りに一代の人生で到達できるものではないとして、ゴータマの前世の修行物語が作られていく。これはフィクションであり、神話的創作だ。ジャータカ(本生譚)と呼ばれる豊饒な物語集が作られ、やがてイソップ物語に影響し、今昔物語に月の兎のお話を残す。自分の身体をも人に施与しようとした兎の姿が月に刻まれたが、あれはブッダ前世のお姿だったのだ、と。
ジャータカでは覚りを目指した前世の仏の物語が作られた。紀元一世紀に起こった大乗仏教運動では、インドの神話が導入されて、諸仏の物語が語られてゆく。阿弥陀仏は諸仏中の一仏として登場する。時はゴータマの死後数百年を経ている。阿弥陀仏の神話によって仏の教えが語られるようになることをゴータマは知らない。
阿弥陀仏について三つの経典「阿弥陀経」「無量寿経」「観無量寿経」が書かれていて、「浄土三部経」と呼ばれる。そこで語られる阿弥陀仏の神話はこうである。世自在王仏(これも神話上の仏)のいた時代に、法蔵という王が誓願を立て修行を始めた。その誓願とは、修行が完成して阿弥陀という名の仏となった暁には、幸福に満ちた場所(極楽)を作り、私を頼る人を迎えて、覚らせてあげたいという。そして、途方もなく長い年月の修行の末、今や阿弥陀仏となって極楽を完成し、そこで説法をしているという。
「歎異抄」第一章冒頭で、この阿弥陀仏の思いもよらない誓願に助けていただいてと、親鸞は語り出すのである。ここは親鸞の思想の核心部分である。

二十世紀の著名な神学者としてルドルフ・ブルトマン(一八八四~一九七六)がいる。彼は新約聖書本文は神話的な表現で書かれているとして、実存理解に迫るために聖書の「非神話化」が必要であると主張した。前回リチャード・ボウカムの、福音書は目撃者による歴史的事実の目撃証言であるとの学説を紹介した。ブルトマンではなくボウカムに私は与する。ここで扱う阿弥陀仏はまさに神話なので、仏教学者がブルトマンに学び阿弥陀仏を非神話化しようとする向きもある。この姿勢にも私は賛同する。
仏教が目指すのは、目覚めてブッダになることである。知恵によって人間としての完成を目指す。しかし、修行を重ねて覚りに至ることは難しい。人生に難儀している人を助けたいという願いをもゴータマは抱いていた。「覚り」に対して「慈悲」と表現される仏教の根本思想だ。「慈」は他者に利益や安楽を与え(与楽)、「悲」は他者の苦しみを取る(抜苦)ことを意味する。

覚りと慈悲という仏教の根本思想を、神話的な表現で語られたものとして阿弥陀仏の物語はあると考えたい。物語の魅力もあって、阿弥陀仏の教えは殊に東北アジアで受容されてきた。しかし、物語が正確に思想表現をしているかは問われなければならない。阿弥陀仏の物語には、覚りを目指す知恵の宗教としての仏教と、慈悲を表す憐れみの宗教としての仏教の両側面が、物語の中に混在して織り込まれている。その辺りをほぐしながら『歎異抄』を読み進めていきたい。振り返ってみるに、新約聖書は対照的に目撃者証言そのものだと改めて思わされる。
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(Ⅰコリント15・3~5)