『歎異抄』と福音 第十一回 地獄は一定すみかぞかし

大和昌平

近代日本の『歎異抄』ブームは、倉田百三の『出家とその弟子』が発端だったが、その背景には暁烏敏(一八七七~一九五四)の『歎異抄講話』という書物があった。暁烏は現在の石川県白山市にある浄土真宗大谷派の明達寺に長男として生まれた。彼は自らの性の悩みをぶつけるように、各地で『歎異抄』講話を行い、それが一冊にまとめられた。広く読まれたこの本を倉田も読んでいたのだった。
北陸本線の金沢駅から三つ目の松任駅を下り、明達寺に敏が建てた臘扇堂を訪ねたことがある。そこには敏が深く尊敬した清沢満之(一八六三~一九〇三)の木像と、一段下で師の像を拝む敏自身の木像の二体が収められている。満之は内村鑑三と同時代に、浄土真宗大谷派で「精神主義」を唱えた改革運動の旗手だった。雑誌『精神界』を創刊する際、『聖書之研究』を発行していた内村鑑三に相談したという。『歎異抄』を格別に重んじた満之の影響を受けて、『歎異抄』を情熱的に語り広めたのが敏だった。
作家石和鷹の『地獄は一定すみかぞかし―小説暁烏敏』(一九九七)は、著者が癌闘病中に書き上げ、その死後伊藤整文学賞を受けた。自らの癌との壮絶な闘いの中で、暁烏敏に心惹かれて著作を読み込んでゆく様が描かれる。『歎異抄』を説いて活躍する暁烏の歪んだ女性関係を痛烈に批判する一人の女性が、この作品に緊張感を与えている。持て余す性欲に悩み、絶対的な赦しを語る『歎異抄』に感激して、宗教界に傑出した足跡を残した暁烏敏であった。その暁烏を決して赦さない一女性のまっすぐな眼差しが、読後にも残る。「地獄は一定すみかぞかし。」暁烏敏を象徴するこのフレーズは、『歎異抄』にある親鸞の言葉だ。

東国から京の親鸞を訪ねた弟子たちと親鸞との問答を記す『歎異抄』第二章のこのくだりを読んでみよう。
◇「念仏は、まことに浄土にむまるゝたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行はげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめいづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(第二章)|念仏はまことに浄土に生まれる原因でありましょうか、それとも地獄に堕ちることになる行いでありましょうか。まったくもって私の知るところではないのです。たとえ法然聖人に騙されて、念仏をして地獄に堕ちたとしても、私は後悔しません。その訳は、念仏以外の行に励んで仏となるべき人が念仏をして地獄に堕ちたのであれば、後悔も生まれるでありましょう。しかしながら、いかなる行もなしえないわが身にとっては、地獄は定めてわが住まいなのです。

覚りという最終目標に向けて励むべき仏教本来の修行をなしえないわが身への親鸞の絶望が語られている。だからこそ、念仏のみで極楽に往生できると説く法然に歓喜する親鸞の姿がここにある。騙されても後悔はしないとの極端な表現は、むしろ逆説的に法然への揺るぎない信頼を表しているのではないだろうか。
「地獄は一定すみかぞかし。」鎌倉時代に弟子によって記された親鸞のこの言葉は、今も日本人の心を激しく打つ。作家の石和鷹はそれを絶筆の題とした。プロテスタントの礼拝で説教題として使われた例もある。この言葉の胸ぐらをつかまれるような迫力は、何だろう。己の悪性を凝視する人間の厳しさだろうか。キリスト教的に言えば、罪意識の深刻さだろうか。聖書を持たずとも、人間は心に書かれた律法によって己の悪にここまで向き合えるのだ。
「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じることを行う場合は、律法を持たなくても、彼ら自身が自分に対する律法なのです。彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。」(ローマ2・14~15)

二回にわたって、近代日本の『歎異抄』との出会いに注目してみた。暁烏敏は二十一歳の時に『歎異抄』を読み、青年としての性の悩みからの救いを親鸞の言葉に見いだし、『歎異抄講話』を書き綴った。倉田百三は恋の喪失と挫折の中に暁烏の書を通して『歎異抄』を読み、文学作品『出家とその弟子』に昇華させた。倉田にはキリスト教の影響も大きく、女性を人格として尊重することと、男性のエゴイズムの葛藤に悩む青年の苦悩が描かれている。近代青年に『歎異抄』と福音との鮮烈な遭遇があったのである。