時代を見る眼286 経済から福音を考える [1] 神の国とその義

日本メノナイトブレザレン教団
福音聖書神学校 教務
石橋キリスト教会 副牧師
南野浩則

 

私に与えられた課題は、経済の視点から聖書とこの世界を考えることです。経済とは「経世済民」という言葉に由来します。元来は、この世が治められ、人々が救済されることを意味します。神が人々を救い治めるならば、聖書は神が示した「経世済民」の書と言えるでしょう。
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マタイの福音書6章33節に記された有名なイエスの言葉「神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」を考えてみます。「これらのもの」とは衣食のことであり、基本的な生活物資を指しています。「神の国(支配)」を「神の価値観が実現している状態」と定義しておきたいと思います。神の価値観が実現していれば、人々は基本的な生活ができるといっていることになります。旧新約聖書を見ていくと、神の望む経済のあり方が一貫して記されています。それは「分かち合うこと」(分配)で、旧約律法のヨベルの年、使徒の働き2章と4章に記されたエルサレム教会の理想などに表れています。イエスの言葉は、信仰深くあることへの報酬として生活が保障されることを意味しているのではなく、人々が神の考え方に従って互いに生活の必要を融通し合い、分かち合うことで人々の生活が支えられることを意味します。「神の国」が第一にされるときに、明日のことを心配する必要はなくなるのです(34節)。生活の不足が出れば、互いに助け合うからです。
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現代資本主義の特徴の一つは、独り占めを積極的に認め、称賛することです。そこでは分配が第一にされることはありません。教会もキリスト者も資本主義の中で生きていますから、いつの間にかこのような考え方に絡めとられてしまう危険があります。互いに独占して、分け合わないから明日のことを心配しなくてはならなくなります。もちろん、神の価値観に従って分配ができたからといって資本主義の矛盾が解決するわけではありませんし、実際には分配の実現は容易ではありません。しかし、まずは聖書の語る経済や富のありかたを学ぶ必要があります。聖書の神は霊的なことだけでなく、日常の生活にそのみこころを実現し、人々に生きる尊厳を与える方だからです。