時代を見る眼290 聖書の言葉を生きる [2] 師匠キリスト、みことば先生に聴く

日本オープンバイブル教団
墨田聖書教会 牧師夫人
文筆家
宮 葉子

pray&hopeプロジェクトを立ち上げて10年になる。学び、祈り、分かち合い、賛美し、食する。教会活動の醍醐味を詰め込んだ、月に一度の大人の女子会だ。来る者拒まず、去る者追わず。教会とは別に安心して話せる場がひとつでもあれば、信仰の友が一人でもいれば。信仰のつまずきや教会生活のあれこれを、きっと乗り越えられるはず。自分の体験から、試行錯誤の中で始まった集まりだ。
参加者は所属教会が違うので、各自のスタイルや神学を尊重する。言いっぱなし、聞きっぱなし、守秘義務がルールだ。教会生活の悩みが話題になることもあるが、私はその人の牧師ではないので、アドバイスはしない。ただ、互いの教会文化の違いを知るうちに、必要な気づきが自然と生まれる。
ファシリテーター役に徹し、抱えている問題やワタシの感情に向きがちな心の目を、こころのごはんに焦点が定まるようにとだけ配慮する。どんと来いの構えでいられるのは、集いの真ん中に、師匠キリスト、つまり「みことば先生」に座っていただくからだ。課題や悩みが出てきたら「聖書は何と言ってる?」と促し、みなで分厚い聖書を広げてせっせと探す。
当初は、聖書を教えたい私の気持ちが勝り、参加者一同がしゅんとすることもあった。神の基準にまで自力で引き上げようとすれば、罪責感や挫折感を強めてしまう。なにより、楽しくない。
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信仰とは古いワタシの考え方を手放して、新しいアイデンティティで生きること。そのためには神をよく知ること。どうしたって聖書のことばを知るにつきる。でも、肝心の神観が、思い込みや過去の苦い記憶で、狭く歪んでしまう人は多い。ここで分かち合いの力が発揮される。
10年続けてわかったのは、神が愛であり、どれだけ自分が愛されているかを聖書から知れば知るほど、人の心は自由にされるということだ。「神は愛なり」。この当たり前の事実に戻るとき、涙とともに輝く顔を何度見てきたことだろう。
学びは2時間。お茶とお菓子の時間も同じ。心と体においしいものをいただき、満ち足りて再会を約束する。人の心は複雑だけど、信仰とはごくシンプルなものだと思う。