書評Books 主からの召し・使命を果たしてこられた姿勢

インマヌエル浜松教会 牧師  蔦田直毅

『牧師という生き方』
野田 秀 著
B6判 1,300円+税
いのちのことば社

父親世代の大先輩の書評を書かせていただくというのは、あまりにもおこがましく、身の引き締まる思いです。
野田先生の著書はどれを読んでも、教えられることばかりですが、何よりご自身のお人柄と、真実な奉仕への姿勢にまず心打たれます。
本書は大きく前半、後半に分かれ、前半は著者の信仰と奉仕の経歴が紹介され、後半は特に「牧師」として通られた(現在進行形)足跡が記されています。
読みつつ勝手に自分の中で「牧会者」、「説教者」そして「指導者」という三つのカテゴリーを頭の中に思い浮かべていました。自らの乏しい奉仕に比べることは申し訳ない、と思いつつも、「そのとおり」、「さすが」と思うところ、「私の言いたいことを言ってくださった」と感じるところ、そして生意気を言わせていただくならば「ここは、もっと踏み込んでおっしゃりたかったのでは」という気持ちで読み進めるうちに、いつの間にか読み終えてしまった、というのが正直な感想です。
けれども本書を通じて一貫して言われていることの一つは「主からの召し」として著者が真摯にそのご奉仕にあたり、また使命を果たしてこられた姿勢ではないかと感じます。
昨今は、ともすると「職業」選択の一つとして牧師「職」を「選んだ」という傾向があるように感じますが、これが主から与えられた務めであり、主の保証を伴う働きであり、人からでなく主からの評価を受けられることが、牧師にとっての最高の、そして唯一の栄誉であることを改めて感謝しました。
加えて、終わりの数章にまとめられているように、非難や中傷、誤解も受けやすい働きでありながら、誰よりも多く祈られ、またご奉仕のゆえに祈りをもって主に近く行かせていただく機会を与えられているのが、主に召された牧師の、何にも勝る特権であることを覚えた次第です。