リレー連載 牧師たちの信仰ノート 第七回 「危機なくして成長なし」①

 

太田和功一(おおたわ・こういち)
KGK主事・総主事、IFES副総主事・東アジア地区主事を経て、現在クリスチャンライフ成長研究会総主事。

この言葉は、私の信仰と人生の恩師が折に触れて語ってくれた言葉です。六十年近い信仰の歩みをふり返って、これまでに経験したいくつかの危機について改めて思い巡らしてみたいと思います。
熱心な仏教徒の家庭に生まれ育った私は、十八歳までは聖書にもキリスト教にもまったく触れたことはありませんでした。最初に触れたきっかけはいくつかのたまたまが重なってでしたが、求道心からではなく、単なる好奇心からでした。しかし、今思うと、そのころ私の心の底にはたましいの渇きといえる求めがあったので、級友のあの手この手の誘いに乗ったのだと思います。
どうして俺はこんな人間なのだろうか、なんのために生きているのだろうかという自分の存在への欲求不満や空虚さでいつもくすぶっている自分を感じていました。やがて毎週高校生の集いや教会にも通うようになり、一九六〇年のクリスマスに洗礼を受けました。求道心をもって聖書を読む中で、イエス・キリストの福音の意味がだんだん分かるようになり、神の愛を体験することもあったからでした。

大学に入ってからは、学内のクリスチャンのサークルに加わり、学内伝道に積極的に参加しました。当時は学生運動やさまざまな宗教運動も盛んで、さまざまな思想や宗教からのキリスト教に対する反駁や問いかけにさらされました。そのような中で、私の心の中にも自分の信仰に対する問いかけが生まれてきました。キリスト教が、聖書の教えが本当に真理であると言えるのか、言えるとしたらその根拠は何か、自分のあの神の体験は思い込みではなかったのではないか、キリストによる救いを与えられ、クリスチャンになったと言っても、自分という人間はなにも変わっていないじゃないか……。
このような問いは次第に疑いになってゆき、自分の信仰を揺るがすようになりました。この信仰の危機を抱えながらも、誰にも打ち明けることができず、教会では日曜学校で子どもたちを教え、学内サークルの活動に参加していました。この危機を乗り越えることができたのは、ある一つの体験と漸進的な理解の深まりによってでした。
疑いをもちながらある町への伝道旅行に参加してトラクト配布をしたり、集会の司会をしていたある日、「家を建てる者たちが捨てた石/それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ」という詩篇一一八篇二二、二三節が心に浮かんできました。そのころ読んだ箇所だったのでしょう。イエス様の十字架の死による罪のゆるしと救いは、人間の理性による合理的な説明がつくか否かによるものではない。むしろ、人間の理解を超える驚くべきこと、不思議なことであることに突然“なっとく”したのです。十字架につけられたキリストは、ユダヤ人にとってはつまずき、ギリシャ人にとっては愚かである(Ⅰコリント1・23)ことが“分かった”のです。

その後、自分の信仰の土台は、自分の体験だけにもとづくものでないことが次第に分かってきました。攻撃的な仏教の学生グループによって取り囲まれ、神の全知・全能と悪の存在について、また、神の主権・支配と人間の自由について納得のいく説明をしてみろと、つるし上げのように長時間詰問されたこともありました。しかし、それらの問いは、自分自身も問い続けたことでしたから動じませんでした。
私なりに到達した結論だけをいえば、イエス・キリストの復活にこそ、私の、否、キリスト教信仰の土台があるという確信です。「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今でもなお自分の罪の中にいます。……もし、私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です」(Ⅰコリント15・17、19)というパウロの言葉が自分の言葉になってきたのです。
今ふり返ってみると、信仰をもちたてのころの親の反対、級友のからかい、宗教的な圧力、聖書の教えに対するさまざまな問いの揺さぶり、それらを通して少しずつ私の信仰の根が深くなっていったように思います。すべての問いに対する回答が見つかったのではなく、問いは問いとしてもちながらも、十字架と復活のイエス・キリストへの信仰をもって生きることができるという意味で。