時代を見る眼 教会の役割り [3]地域にさいわいを

キングス・ガーデン埼玉理事 児島康夫

「福祉」という語はいつごろ生まれたのだろうか。
ある福祉系の専門書に「第二次世界大戦後、日本国憲法の制定と共に生まれた造語」と書かれていた。
しかし、明治時代に訳された文語訳聖書には、申命記12章25節、エレミヤ書7章23節他、30か所ほど「福祉」という語があり、「さいわい」と振り仮名が振ってある。
戦後の憲法25条の「社会福祉」という語の水源は聖書にある。
明治時代のキリスト教は、教育や福祉に熱心に取り組んだ。宣教師の熱意と先見の明もあったろうが、それに呼応した日本人の教育家や福祉家も多かった。それら先駆者の努力によって、日本の学校教育や福祉事業に、キリスト教は多大な影響を与えている。彼らは時代のニーズを鋭く見抜き、「世の光、地の塩」として社会に貢献したのである。
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さて、今日、日本の社会で解決が求められている差し迫った課題は何であろうか。
高齢者介護、幼児保育、学童保育、子育て、児童虐待、介護虐待、依存症、引きこもり、家庭内暴力、家庭崩壊、障害者の孤立、学校や職場でのいじめ、病める人の心の癒やし等々、数え上げたらきりがない。
教会が、それらすべてに関わっていけるわけではないが、そうかといって、すべてスルーしていいわけがない。社会の身近な問題に、真摯に関わることによって、教会は地域の信頼を得られるのではないだろうか。
世界を聖と俗という二つの領域に分けて考えるのではなく、すべてが神の栄光を表す場と考え、神と人とに仕えるのが私たちの使命である。
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すでに近年、建物の一部を地域に開放し、諸問題に寄り添う活動が行われている教会が増えている。
また、キリスト教の隣人愛の精神に基づく福祉施設が、ボランティア活動とタイアップしてカフェを開き、交わりの場を提供したり、子ども食堂を開いたりして、地域の人々に仕えているとも聞く。
いのちが軽視されている現代であるからこそ、いのちを大切にし、そのいのちが輝くように支援することが、神の約束された「福祉(さいわい)」を見えるかたちで証しすることに繋がるのではないだろうか。