伝道 トラクトを配ることに大いなる喜びを覚える
「私たちはエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教、統一教会ではありません」
オイコス計画伝道トラクトの裏表紙に小さく明記されているこの注釈が、
どれだけ伝道トラクト配布をする者に安心感を与えるか、計り知れませんでした。
それほど今、キリスト教の三大異端の一つである旧統一教会の問題は、
世間の耳目を集めています。”教会”という名前がついている以上、十把一絡にして
キリスト教は恐ろしい宗教だという意識が無意識にも刷り込まれたことは否めません。
旧統一教会が名称変更して「世界平和統一家庭連合」となって、”教会”という名称が
外されてその本質がキリスト教とは似て非なるカルト集団であることが明らかになっても、
その影響は末長く残ることは避けられません。
そもそも日本語の「宗教」と英語の””religion””とでは根本的に意味が異なり、
前者は「神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され、禁忌
された神聖なものに関する信仰・行事またはそれらの連関的体系」(広辞苑第二版)
を意味しますが、後者はラテン語に起源を発し「神と再び結び合わせる」という
意味があり、宗教一般ではなく”神と人との唯一の仲介者”であられるキリストを
信じるキリスト教を指しています。
鎌倉雪ノ下教会の加藤常昭牧師は、その説教集で「キリスト教という言葉をできる
だけ用いないようにしている」と書かれ、「聖書の信仰のひとつの特色は、神にも
痛む心臓があるという信仰です。
神にも痛むはらわたがあるという信仰です。その神のみ子、主イエス・キリストが
痛みを覚える。これはきわめて独特なものであります。(中略)聖書の神はまこと
人間的な神、いやそれどころか、人間そのものとなってくださったのであります。」
と記しています。
今回、いのちのことば社EHC事務局から1万部のオイコス計画伝道トラクトを送って
くださったにも拘わらず、7,721部と2千部以上も齟齬が生じましたことを深く反省
いたしております。
有志の会員に伝道トラクトを持って帰ってもらった時に、十分にその部数のチェックを
怠り、誰がどの伝道トラクトを何部持ち帰ったかを記録しなかった不手際をお詫びする
しかありません。しかしながら、エレミヤ書にあります「剣、飢饉、疫病」という
御言葉がものの見事に適用されるような今現代の”ウクライナの戦争・ヨーロッパの
大旱魃・新型コロナウイルスによるパンデミック””という状況下にあって、
「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者とを裁くために来られるキリスト・
イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ
伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。
忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。
そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな
場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」
(テモテへの手紙二4章1~5節)
という御言葉に従いたいと存じます。
どうか更なる伝道のチャンスを請い願いつつ、配布することに熱心な会員の「伝道
トラクトを配ることに大いなる喜びを覚える」という証を示しつつ、もう一度加藤常昭牧師
の説教集から引用して、報告に代えさせて戴きます。
「福音とは、ひとりひとりに語りかける<喜びの知らせ>です。具体的にひとりの人に
『これはあなたにとっての喜びです』と語りかける。福音そのものの言葉が、そのように
ひとりの名を呼びながら、しかも誰に対しても語りかける言葉なのです。」”