「がん哲学」で心に処方箋
―教会にがん哲学外来・カフェを! 第1回 顕微鏡の世界から人々との「対話」へ
樋野興夫
順天堂大学医学部
病理・腫瘍学 教授
東京・御茶ノ水には、私の勤める順天堂大学のほかにも多くの大学病院があります。私は月に一度、御茶ノ水駅のすぐ近くにある御茶ノ水クリスチャンセンターで「〈がん哲学外来〉メディカル・カフェ」を開いているのですが、これは、がん患者さんやその家族、医療関係者などが、病気について語り合える場です。大学病院でがん告知を受け、そのまま、どうしようもない気持ちになって「〈がん哲学外来〉メディカル・カフェ」にやってきた、と話してくれる人もいます。
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今や、がんは国民の二人に一人がかかる病気です。がん医療にどう取り組むかは、日本においてはもちろんのこと、世界的にも重要な課題と言えるでしょう。
日本における死亡要因第一位であることから、二〇〇七年、がん対策の一層の充実を図るために「がん対策基本法」が施行されました。がん検診の受診率をあげることや、拠点病院の設置、医療技術の格差是正などがかかげられています。けれども実際は、治療方針に悩んだり、もう治療のほどこしようがない段階になり、信頼できる病院や医師、治療法を求めて転々とする〝がん難民〟と呼ばれる人々や、「がんについて話ができる場が欲しい」と切望している患者さんが大勢います。私はがんを専門とする「病理学」の医者として、医療技術の提供以外に、医療が果たせることがあるのではないかと、考えるようになりました。
病理医の主な仕事は「病理診断」です。がん手術が始まると、患者さんの細胞組織ががん病理医のもとへ送られてきます。すぐに組織標本を作り、顕微鏡でじっくり観察し、どのような種類のがんで、進行状況はどうかを調べます。そして、伝えた診断結果をもとに、外科医は切除の範囲などを決め、手術を進めていくのです。手術後には切除した細胞組織が届き、それを永久標本し、顕微鏡で詳しい診断をしていきます。また、亡くなった患者さんの病理的な死因の究明も病理医の仕事です。
このほかに、それぞれ専門分野の研究を行っています。私の専門分野は「発がんのメカニズムを解明すること」です。四十年以上、研究室で顕微鏡を覗いてきました。島根県出身の私は、出雲弁のせいで人と話すのが苦手だったので、患者さんを直接治療する臨床医ではなく、病理学者になりました。ですが、今のがん治療に欠けているものを考えたときに、患者さんと対話する場を作ろうと考えたのです。不思議なものです。
がんを通してよりよく生きることを考えよう、という思いを込めて二〇〇一年、「がん哲学への道」という記事を学術雑誌に寄稿しました。〝がん哲学〟とは、戦後初代東大総長の南原繁による「政治哲学」と、元癌研所長で東大教授の吉田富三による「がん学」をあわせて造ったことばです。長年、がん細胞を見てきた私は、がん患者は病気を治すことだけでなく、人とのつながりを感じ、尊厳を持って生きることを求めていることに気づいたのです。その後、二〇〇五年にアスベスト問題が公になり、中皮腫の研究をする中で、より一層その想いは強くなりました。
「がん告知」を受けても、人生はすぐ終わるわけではありません。死を前に残りの人生をどう生きていくのか。それらは、がん患者に大きな意味をもって迫るのです。
そして二〇〇八年、順天堂大学医学部附属順天堂医院で、「がん哲学外来」という外来を設置することしました。「がん哲学外来」では、三十分から一時間、がん患者さんやそのご家族としっかり向き合い「対話」します。病気の診断や医学的治療の処方ではなく、患者さんの心に〝ことば”の処方箋を出そうというものです。これは三か月、五回だけの特別外来でした。どのくらいの人が来るのか、まったく予想がつきませんでした。〝がん哲学〟ということばも、まだ知られていなかったでしょう。ですが、八十件もの予約が入ったのです。予想を超える数で、キャンセル待ちをお願いするほどでした。このことからも、がんについて語れる場がどれほど求められているかがわかりました。
「がん哲学外来」は、その後もさまざまな場所で定期的に開いており、二〇一三年十月現在まででのべ千人の方とお話をさせていただいております。今では、患者さんやご家族、医療関係者がお互いに話すことのできる「がん哲学外来・カフェ」も開くようになりました。三十分から一時間の個人面談を行う「がん哲学外来」には私のような専門医の存在が必要かもしれませんが、「がん哲学外来・カフェ」は皆で話す場ですから、ひとつのテーブルに〝がん哲学〟を知り、その場を見守れる人がひとりいれば、教会でも、街中のカフェでも、どこでもできます。国民の二人に一人ががん患者と言われる今、病気に対する不安や葛藤、苦悩を吐きだせる場所が必要ではないかと思うのです。