「チェーン式聖書」をオススメします。 私的解釈の落とし穴から守ってくれる

山中知義
山中知義
横浜オンヌリ・キリスト教会牧師

 私は高校時代に米国に留学しました。渡米して間もないころは、異国文化に戸惑い、また英語の生活にも疲れることが多くありました。そんな私にとって、日本語聖書は大きな慰めでした。

 しかし、信仰を持って日の浅い私には、その内容がほとんど理解できませんでした。使徒の働き八章で、使徒ピリポにたずねられたエチオピアの宦官が、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言いましたが、まさに私はそのような状態でした。

 実は、聖書は正しく解釈しなければ、毒にもなり得ます。私は、当初、聖書を私的解釈する失敗を何度も犯していました。特に旧約聖書を読みながら、幾度となく、神という存在を恐ろしく、遠い存在に「感じた」ものでした。私には聖書をバランスよく正しく学ぶ必要があったのです。

 そんなとき、「チェーン式聖書」と出会いました。私はまるでピリポと出会ったエチオピアの宦官のようでした。それ以来、私の愛用聖書となりました。

 これは日本発のスタディバイブルであり、聖書を読む者を私的解釈の落とし穴から守ってくれる、力強い手引書です。信仰者は聖書をたくさん、そして深く読む必要があります。聖書を読まない人は、井戸は与えられたが、そこから汲もうとしない人と同じで、イエス様の約束された「いのちの水」があふれるのをついぞ経験することができません。

 しかし、いくら読んでも「良くわからない」ということが続くと、聖書を読むことに疲れてしまいます。聖書はもはや糧ではなく、重荷となり、道しるべというよりも、迷路になってしまいます。

 そのような聖書スランプの中におられる方々に、心から「チェーン式聖書」をお勧めまします。この聖書で通読を始めてみてください。「理解できる聖書」との日々を始めてみてください。神様のみ声が、よりクリアに聞こえてくることでしょう。