「原理主義」と「福音主義」 第1回 ファンダメンタリズムの原点は?(後半)
宇田 進
東京基督教大学名誉教授 元ウェストミンスター神学校客員教授
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こうした状況の中で、歴史の教会が証ししてきたオーソドックスな信仰を重視するアメリカの諸教会の間では、キリスト教信仰のファンダメンタルな教義を表現し、それなしにはもはやキリスト教ではなくなってしまう基盤的なものを重要視する傾向が生まれた。つまり、16世紀の宗教改革者ルターの「われここに立つ」という宣言に象徴されているキリスト教の≪信念体系≫が、問題の中心であったということである。
下って1920年、北部バプテスト連盟の総会を前にして、バッファローで同連盟の福音的なグループの集会が開かれた。その席上で、当時The Watchman Examiner! 誌の編集者であったカーティス・ローズは、「キリスト教信仰のファンダメンタルズのために忠実に闘う者たち」を「ファンダメンタリスト」と呼んだ。この出来事が「ファンダメンタリズム」という名称のそもそもの起源である。
この出来事の三年後に、当時プリンストン神学校で新約学を担当していたグレッサム・メイチェンは、『キリスト教とリベラリズム』(マックミラン社刊・邦訳『キリスト教とは何か』1976)を著した。その中でメイチェンは、リベラリズムは個別的、部分的な解釈上の相違という問題にとどまらず、その世界観、そのパラダイムから見て、全体として「もう一つのキリスト教」であると批判した。この書について、かの社会評論家ウォルター・リップマンが『道徳への序説』(1929)の中で高評した事実は記憶されるべきであろう。
また、メイチェン自身は改革派神学に立つ一人として「ファンダメンタリズム」という呼称を避けたかった経緯(W・マッセリンク『弁証家としてのメイチェン』1938)があるが、彼の考えの中には、リベラリズムの構想を徹底化していくならば、最終的には多元主義を通ってキリスト教の一般文化史への解消、そして世界宣教(マタイ二八章)のモラトリアム(停止)に逢着することは避けられないという判断が存在していた。