「絆」を求めて
――なぜホームレス支援なのか ◆巻き込まれて、脊髄反射

谷本 仰
日本バプテスト連盟 南小倉バプテスト教会牧師

三十年近く前、ぼくは兵庫県の西宮にある関西学院大学の文学部英文科に学んでいた。教会の友人が在籍する隣りの神学部に遊びに行ったとき、学生控え室の向こうから、不意に吉本新喜劇役者のギャグを初対面のぼくに投げかけてきた男がいた。
それが、奥田知志だった。
彼と少し親しくなって間もなく、ぼくはアメリカ・テキサス州ダラスの大学で一年間学ぶことになったが、約束の便りを、奥田は結局一度もくれなかった。帰国後、奥田曰く「アメリカへの郵便の切手、どこで買うたらええかわからんかった」。笑ってしまった。
聞けば小学生の頃、すでに彼は自習時間に教卓の上に正座し、落語でクラスのみんなを笑わせていたという。今も彼はホームレス支援にかかわる深刻な話に笑いを持ち込み、緊張した場をなごませる。誰もがそれにうかうかと乗せられアハハと笑っているうちに、無理だと思っていたことも、まあやってみるか、という気にさせられてしまうから不思議だ。
奥田知志はすぐに赤の他人を受け入れて面倒を見る。そういえば、ぼくも彼の下宿に転がりこんで一緒に生活していた。面倒見られていたのか! 彼が中高時代に滋賀の郷里で通っていた教会の牧師は、問題を抱えた若者を自宅に引き取って家族としてかかわっていたという。これが彼にとっての牧会、そして困窮者支援の原型なのだろう。
奥田知志は突然動く。そして周りの人間を巻き込む。三・一一東日本大震災の直後も、被災現地に支援物資を送る輸送ルートをあっという間に構築し、行政と連携し、被災した方々を北九州で受け入れサポートする「絆プロジェクト北九州」を立ち上げた。そんな自分のことを、彼は最近「脊髄反射で生きている」と表現していた。熱いものに触ったとき、脳が「熱い」と認識する前に脊髄が反射的に筋肉を収縮させ、手をひどいやけどから守る。彼の動きには大抵、膨大な量の読書から得た知識やどこからか不思議に手に入れてくる裏情報や、経験から得た知恵や直感が練りこまれて、説得力が備わった言葉がついてくるのだが、結局それらは、彼の脊髄反射から来る「アチッ!」なのかもしれない。彼自身、自分の動きについていくのに必死なのかもしれない。周りの人間を巻き込む渦も、実は奥田が起こしたものではなく、彼自身巻き込まれて、その渦中でくるくると回っているのかもしれない。思えば奥田に誘われて釜ヶ崎に出会ったぼくも、結局彼自身が巻き込まれた渦に同じように巻き込まれ、人生を変えられ、北九州で牧師になり、歌い演奏し、ホームレス支援をしているのかもしれない。
「もう、ひとりにさせない」。それは寄る辺を求めて彷徨い生きる者たち、孤独の中で死んでいった者たちとの出会いの中で、彼の中に澱のように降り積もり、満ち、響くに至った祈りなのだろう。かかわろうとしてかかわりきれず、届かない他者の前であげる叫びであり、ひとりにさせてしまったことを悔やむ罪責告白でもあるだろう。そしてそれはきっと、そもそも彼に向かって「お前を絶対にひとりにさせない」と告げ、彼を巻き込んだ張本人である主イエスご自身への応答であるはずだ。最後は結局この一言に尽きる。「アーメン」