「絆」を求めて
――なぜホームレス支援なのか ◆interview キリストの十字架を背負って生きる(2)

―― そうですね。一方、被災したからといって急に伝道、伝道と言い出すのも少し違うように思いますが。

いい質問ですね(笑)。やはり災害以前から、日ごろ何を祈ってきたのか、日ごろどう生きてきたのかということですよね。教会は「地域」を大事にしていますよ。伝道対象ですから。でも、〝地域にとって教会は大事なのか”。その問いかけを日常的に行わないとだめだと思います。
クリスチャンは、「隣人」をテーマに抱えているのですから、対人支援のプロだと思うのです。でも、援助されるプロになっちゃっていて、「大事にしてほしい」「励まされたい」「牧師に話しかけてもらいたい」と言う。
イエスは、「隣人とはだれか」と言った後に、「あなたも行って同じようにしなさい」と言いますが、伝道というのは隣人になること、「仕えること」じゃないでしょうか。

―― 「仕える」ためには、具体的に何をすればいいのでしょうか。

ぼくは、ある程度チームづくりとか仕組みづくりが必要だと思います。教会の牧師とNPO組織の働きをしていますが、ひとりではできないです。
対人援助というのは、ひとりじゃできないのでチームをつくる。
たとえば、ホームレス支援とかも、「お金がかかるんだろうか」「知らないおじさんに声をかけるなんて怖くてできないよ」。でも、気持ちはあるんですよね。こんなところで寝てたら死んじゃうんじゃないか、という。だから一緒になってひとつのチームをつくる。
また、このような災害時には、先行して動いている人たちがいますから、そこに協力してもよいと思います。
さらに、ネットワークづくりでしょうね。私は今、現地に対策本部を設置して、仙台市内に県外ボランティアの宿泊施設をつくろうとしています。また、メンタルや子どものケアの支援拠点や派遣システムをコーディネートしようとしています。それぞれが単独で動くのは、もったいないですから。
また、この間私が現地に行ったときに、一人のお年寄りが、「いつかきっと笑える日がきます」と書かれた絵手紙を見せてくれました。支援物資の中に入っていたそうです。大分県と名前しかわからないのですが、私が九州から来たということで、「九州に帰ったら、この方にお礼を言ってください」って、涙を流しながら言うんですよ。
「私たちはすべて失ったけれど、このことばで生きてるんです」って――。
現地に行くことだけじゃなくて、そういう支え方もできるんだよね。
基本的には、覚えて祈ってほしいです。そして、実際現地に行ったクリスチャンがどういう報告をするのかが大切だと思います。それによって何を祈ればいいのかわかるし、祈ったら、献金しようとか思うこともあるでしょう。

―― 奥田先生は、なぜホームレス支援を続けていけるのでしょうか。

本にも書きましたが、つらいときは、いっぱいありました。

でも、神様によって生かされているんだっていう思いがあるから。多少行き詰まっても、もともとできない人間がやっていることですから、一喜一憂することがそもそも成立しないんです。
ぼくの罪のためにイエス様は十字架にかかってくれました。ぼくは毎日イエスを殺している。それでも生きている。
ぼくらは、赦された罪人。
あらゆるクリスチャンの働きは、この恵みに対する応答行為です。ここに支援の根拠があります。
そしてやはり、服従でしょうね。イエスに服従するということです。そこに基本をおかないと……。人間同士の関係は脆弱ですから。
ペテロは、一晩中漁をしても魚が取れなかったときに、イエスに網をおろすように言われて、「おことばですから、網をおろしてみましょう」と言うんです。納得したわけじゃない。いやだなーと思いながら、「でもおことばですから」と始めるのがクリスチャン。
お世話したくない人のところに行ったり、会いたくない人のところに行ったりするかもしれない。でも、おことばですから。すべては、キリストに対する服従です。

奥田知志(おくだ・ともし)
1963年、滋賀県に生まれる。関西学院大学時代より、大阪釜ヶ崎で支援活動に参加。1990年、東八幡キリスト教会牧師就任。2000年にNPO法人北九州ホームレス支援機構を設立し、理事長就任。現在に至る。テレビ出演も多数。