『レフトビハインド』が語りかける福音のメッセージ (後段)
編集部編
●『レフトビハインド』シリーズのサイトから
出版元のTyndale House Publishersによる同シリーズのオフィシャルサイト(http://www.leftbehind.com 英語)には、例えば、『レフトビハインド』を読んだ南アフリカに住む男性から次のような感想が寄せられている。
私の信仰の歩みは、浮き沈みが激しく、クリスチャンになっても間違った動機で信じていました。まるで『レフトビハインド』で最初に登場したころのブルース・バーンズのように自分の利益のためにうわべだけ信じるようなふりをしていたようにも思います。
私はエンジニアなので、論理的でないことには納得がいかず、聖書の中の突拍子もないと思えるような話にはついていけませんでした。幼子のような信仰は私にはなかなか与えられなかったのです。
そんなとき『レフトビハインド』を知人からプレゼントされました。「あぁ、またよくある信仰書か」と最初は思いましたが、読み始めると途中でやめることができなくなり、続編を自ら購入しました。そして読み進むにつれ、かたくなだった私もしだいに、レイフォードやバック、そしてクローイのように真に主を知るようになりました。
●フィクションによる宣教の可能性
アメリカでは、クリスチャンからノンクリスチャンへと「読み出したらとまらない面白い小説」として口コミで広がり、それを通して教会へと導かれ、信仰をもつようになった人も少なくないという。面と向かって話されることに抵抗を感じ、身構えてしまう人もいるということを考えると、フィクションを通して福音を伝えるという方法は一つの可能性を秘めているのではないだろうか。
たしかに両国には、文化的背景、人口に対するクリスチャンの割合など大きな相違があり、日本でもそのままそうした現象を期待することは難しいかもしれない。しかし先述の上野氏の言うパウロの言葉を覚えながら、本書が福音宣教のために、一人でも多くの方がキリストのもとに導かれるために、大いに用いられてほしいと思う。